ユウトは識別番号を頼りに、夜の都市を抜けた。高架路の下では、記憶を売り払った人々が無言で列をなし、窓のない搬入口へ吸い込まれていく。治療支援の再審査は、白い扉の先で行われていた。彼は胸ポケットの端末を握りしめ、母の延命と引き換えに何を差し出してきたのか、ようやく輪郭を掴み始める。 旧研究棟の裏手に回ると、警備の目は異様に少なかった。まるで来訪を前提にした道のようだった。廊下を進むたび、壁面に埋め込まれた投影装置が淡く起動し、見慣れた標語が流れる。不要な記憶は社会を不安定にする。ユウトは唇を噛んだ。その言葉が、自分の痛みを小さく畳んでいく音に聞こえたからだ。 扉の先で待っていたのは、白衣の職員ではなかった。痩せた肩をした中年の男が、古い端末を抱えて立っていた。リナの父を名乗るその男は、ユウトを見るなり深く頭を下げた。娘は生きている、と男は言った。だが記録上は、すでに何度も存在を薄められている。事故の後、計画の証拠を隠すために、娘の顔と名前は幾重にも上書きされた。おまえが買い戻した初恋の記憶は、その最後の保管場所だった。 ユウトは言葉を失った。では、自分が覚えていた優しい午後も、川沿いの帰り道も、すべてが仕掛けられた導線だったのか。男は首を振った。仕掛けたのは記憶の改ざんだ。だが、そこに本当に残った感情まで消すことはできなかった。君は何度も売られながら、それでも彼女を覚えていた。 その瞬間、通信端末が震えた。母の再審査結果。支援停止。提出不足。続く文面は冷たく、次の治療枠は失効する、と告げていた。ユウトの膝から力が抜ける。真実に手を伸ばせば、母は遠ざかる。母を選べば、街はこのまま眠り続ける。男は静かに端末を差し出した。公開用の中枢鍵だ。選ぶのは君だ、と。 ユウトはしばらく動けなかった。だが、胸の奥で一つだけ消えなかった感触があった。誰かに守られた記憶ではなく、守りたいと願った自分の意思だ。彼は鍵を受け取る。母の名を見つめ、リナの欠けた輪郭を思い浮かべ、最後に深く息を吸った。選択はまだ終わっていない。けれど彼は、奪われるだけの自分をやめるために、扉のさらに向こうへ歩き出した。
記憶市場の果て、初恋は真実を灯す
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