「……来るな、じゃ足りないな」 晴人は写真を握ったまま、商店街の路地へ駆け込んだ。昼を少し過ぎた通りは買い物袋を提げた人でにぎわっているのに、路地だけはひんやりしている。祖父のカメラが写した一枚には、坂の下で自転車が傾き、配達員らしい男が荷物ごと倒れかけていた。 「これか……」 晴人は息を整えながら、路地の先を見た。坂は急で、曲がり角の死角も多い。写真の中で転んでいた自転車は、きっとここを下ってくる。そう読んだ晴人は、角に立って配達用の自転車を待ち構えた。 「すみません、そこ危ないです!」 通りかかった青いヘルメットの配達員が怪訝そうに眉を上げる。 「え? 俺?」 「そうです。その坂、滑りやすいから、押して下りたほうがいい」 「はあ……まあ、急いでないし」 半信半疑のまま男が自転車から降りる。晴人はほっと息をついた。これで転倒は防げる。そう思った、次の瞬間だった。 路地の奥から甲高い音が弾けた。 「うわ、割れた!」 誰かの叫びに振り向くと、店先に出ていた植木鉢が落ち、通行人の足元に土が散っている。小さな騒ぎだが、足を止めた人々が一斉に振り返り、路地の流れが乱れた。 「なんだよ……」 晴人は配達員の自転車から目を離せないまま、反対側で起きた騒ぎを見た。倒れたはずの自転車は無事だ。代わりに、植木鉢が割れて、近くの店員が慌てて片づけている。 「大丈夫ですか!」 晴人は咄嗟に声を上げ、割れた鉢の破片を踏まないよう人を避けさせた。配達員もつられるように立ち止まり、荷台の箱を抱え直す。 「助かった、のか……?」 そう呟いた晴人は、胸の奥にひっかかる違和感を覚えた。自転車の転倒は防げた。けれど、その分だけ別の場所で小さな騒ぎが起きている。偶然にしては、あまりに都合よく、そしてずれている。 晴人は写真を見下ろした。そこに写る危険は一箇所だけのはずだった。だが現実は、少し形を変えて横へ滑っただけだ。 「……一つ潰したら、別のとこに出るのかよ」 誰に向けた言葉でもないのに、配達員が困った顔でこちらを見る。 「兄ちゃん、さっきから何なんだ?」 「いや、あの……」 晴人は言いよどみ、結局笑ってごまかした。写真を畳む手が、妙に重い。 未来は固定された一枚じゃない。そう気づいた瞬間、背筋を冷たいものが走る。助けたはずなのに、被害の形だけが少しずつずれていく。そのたびに、どこかでまた誰かが慌てる。 晴人は路地の奥と、割れた植木鉢と、自転車にまたがり直す配達員を順に見た。 「……逃げ道みたいに、動いてるのか」 写真の中の出来事は、ただ一点に縛られていない。そう悟った晴人の指先で、古いカメラがわずかに冷たく光った。
残像のシャッター、明日へ余白を残す
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