エラベノベル堂

残像のシャッター、明日へ余白を残す

全年齢

小説ID: cmneisd1a000p01n3abhav76i

3章 / 全10

ノートを読み終えた翌朝、私は祖父の字を頭の片隅に置いたまま、いつもの写真店へ向かった。店主は私の差し出したフィルムとカメラを見比べ、無駄のない手つきで受け取る。その沈黙が妙に落ち着かず、私は初めて口を開いた。このカメラ、祖父のものだったんですよね。老人は現像液の棚を整えながら、少し遅れてうなずいた。あの人は、写真を見て慌てない人だった、とだけ言った。まるで忠告の続きみたいで、私はそれ以上聞けなかった。 受け取った写真は六枚あった。最初の二枚は駅前の雑踏で、特に異常は見えない。三枚目で足が止まる。高架下の小さな広場、休日になると屋台が並ぶ場所だ。写真の中央で、風にあおられたらしい垂れ幕がちぎれ、その先で子どもが驚いて転びそうになっている。だが問題はその奥だった。屋台のひとつから白い粉のようなものが舞い、隣の発電機の火花めいた光がぼやけて写っている。小さな騒ぎで済むのか、連鎖して大きくなるのか、判別がつかない。 四枚目には同じ広場の別角度が写り、救急車の赤色灯だけが遠くに滲んでいた。五枚目には、避難する人波の脇で転倒した老人。六枚目には、何も起きなかったように夕方の片づけをする屋台の列。どれが本当に近い未来なのか、あるいは全部が枝分かれした先なのか、私にはもう読めなかった。 それでも広場へ向かった。祖父のノートの一文が、何度も胸の内で反芻される。一人で決めるな。私は管理事務所を訪ね、風が強まる予報が出ていること、発電機の位置と粉ものの屋台が近すぎること、通路が狭く転倒が起きやすいことを、写真のことは伏せて伝えた。若い職員は最初こそ半信半疑だったが、昨夜の強風注意報を確認すると顔つきを変え、急いで会場責任者を呼んだ。 準備の手伝いをしながら、私は広場の隅々を歩いた。垂れ幕の固定を増やし、発電機の向きを変え、コードを踏まれないよう養生する。通路の真ん中に置かれた立て看板を端へ寄せ、ベンチの近くには休憩用の椅子を増やした。小さな修正ばかりだった。以前の私なら、危険を見つけた瞬間に全部止めようとしただろう。だが止めるだけでは、別の場所に歪みが寄る。今はそう思えた。 昼過ぎ、川沿いから強い風が吹き抜け、垂れ幕が大きくはためいた。広場にいた子どもが驚いて足をもつれさせる。私は駆け寄りかけたが、その前に近くのスタッフが子どもを抱き留めた。別の屋台では袋が破れて粉が舞ったものの、発電機は離してあったため火花は届かない。通路でつまずいた老人には、増やしておいた椅子が目に入り、そちらへ腰を下ろしていた。起きたのは、写真の断片に似た小さな揺れだけだった。 胸をなで下ろした、そのときだった。ポケットの中で、まだ見ていなかった祖父の写真が指先に触れた。あの川沿いの一枚。広場の先に見える堤防と、写真にあった欄干の形がよく似ていることに気づき、私はゆっくり振り向いた。遠くの空に、季節外れの鉛色の雲が低く垂れこめていた。風向きが変わる。広場のざわめきの下で、川の水がどこか不穏な音を立てている気がした。祖父が記録し続けたものは、目の前の事故だけではなかったのかもしれない。そう思った瞬間、私の背筋を、まだ名前のない大きな気配が静かに這い上がった。

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