エラベノベル堂

残像のシャッター、明日へ余白を残す

全年齢

小説ID: cmneisd1a000p01n3abhav76i

4章 / 全10

翌日から、私はカメラを向ける先を変えた。人の集まる場所だけではなく、空の低さや川の色、風の抜け道まで意識して歩くようになった。祖父のノートには、事故の記録に混じって気圧や潮位の切り抜きが貼られていたからだ。駅前の手すりの緩みと、河川敷のぬかるみが、同じページで線で結ばれていることもあった。最初は几帳面な癖だと思っていたが、今は違うと分かる。祖父は点ではなく、流れを見ていたのだ。 数日分のフィルムを現像すると、写真はますます曖昧になっていた。商店街の上空に重たい雲が垂れ、何でもない道路の端にだけ水たまりが黒く滲む。河川敷では、晴れているのに避難案内板の矢印が妙に光って見えた。一枚の中に、転倒した自転車と、濡れて閉じられたシャッターと、誰もいないバス停が同居している。どれも決定的ではないのに、胸の奥だけが嫌な熱を持つ。小さな事故の前兆ではなく、町全体の呼吸が浅くなっていくようだった。 私は写真店の老人に、祖父は何を見ていたんですかと尋ねた。老人はすぐには答えず、乾いた写真を棚に並べながら言った。見えていたのは未来じゃない、崩れやすい順番だろうな。強い雨の日、ひとつ助けても次が来る。だからあの人は、助けるより先に備えさせることを覚えた。言葉は短かったが、祖父のノートにあった止めすぎるなという一文が、そこで初めて体温を持った。 その帰り、私は離れで最後まで開いていなかったノートを見つけた。背表紙の内側に、地図を折って挟んだ跡がある。開くと、町の簡単な見取り図に赤い丸がいくつも打たれ、川沿い、地下道、古い商店街、保育園、高架下広場が細い線で結ばれていた。端には、祖父の字で小さく書かれている。 先に騒ぐな。先に繋げ。 意味を考えているうち、ページの間から一枚の写真が滑り落ちた。まだ新しい印画紙だった。見覚えのないはずの景色なのに、息が止まる。濁った空の下、堤防脇の広い道に人が集まり、その中央に私が立っていた。誰かを見ているのではなく、何かを待つように、ただ動かず前を向いている。足元には水が薄く広がり、遠くで非常灯の赤がにじんでいた。 その写真の裏には、祖父の字ではない、私自身の筆跡によく似た細い文字があった。 一人で行くな。 ぞくりとしたものが背中を走った。いつ書いたのか分からない。もちろん書いた覚えもない。けれど、字の癖は見慣れた自分のものに近かった。窓の外で風が鳴り、庭の木が大きく揺れる。私は写真を持つ指に力を込めた。これまで救ってきたのは、こぼれ落ちる寸前の小さな欠片だったのかもしれない。今、写り始めているのは、その欠片を生み出すもっと大きな流れだ。そしてその中心に、なぜか私自身が立っている。 夜の町は静かなのに、何かがすでに始まっている気がした。祖父が何年も記録し続けた理由も、たぶんこの先にある。私は机いっぱいに写真と地図を並べ、赤い丸を一つずつ指で追った。点はばらばらではなかった。水の逃げ場、人の集まる場所、足の止まる場所。それらは一本の見えない線で繋がり、まるで町の弱いところをなぞる傷跡のように浮かび上がっていた。

4章 / 全10

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