エラベノベル堂

残像のシャッター、明日へ余白を残す

全年齢

小説ID: cmneisd1a000p01n3abhav76i

5章 / 全10

「……この感じ、嫌だな」 堤防へ続く道を歩きながら、晴人は写真を見下ろした。美月が肩を並べている。朝の光はやわらかいのに、川風だけが妙に冷たかった。写真に写っていたのは、何でもないはずの護岸の一角だった。けれど、そこにだけ不自然な亀裂が走っていた。 「ここ、ほんとに普通に見えるね」 美月が川面を見やる。水は静かで、釣り人も散歩の老人もいない。だが晴人は、目を凝らすたび、地面の下から微かな揺れが伝わってくる気がした。 「静かすぎるっていうか……地面が息してるみたいだ」 「何それ、怖いんだけど」 「俺だって怖いよ」 晴人は苦笑したが、すぐに表情を引き締める。写真の亀裂は、ただの傷じゃない。まだ小さいのに、触れたら一気に広がりそうな嫌な予感がある。 美月は堤防の縁にしゃがみこみ、指先でコンクリートの表面をなぞった。 「見た目は平気。でも、なんか空っぽっぽい」 「うまいこと言うな」 「うまくないよ。ほんとに怖いの」 そのとき、晴人の足元でかすかに砂が鳴った。視線を落とすと、目に見えないほど細い線が、石の継ぎ目に沿って走っている。 「……今の、見た?」 「うん」 美月の声が低くなる。晴人はすぐにスマホを取り出した。 「監督員に連絡する。たぶん、点検してもらったほうがいい」 「私も言う。家のほうで変なことが続いてるって、ちゃんと話したいし」 晴人は番号を押し、短く事情を伝えた。相手は最初、軽く受け流すようだったが、晴人が写真と亀裂の位置を具体的に告げると、声の調子が変わった。 『すぐ確認します。そちらは、危険そうな場所には近づかないでください』 「はい」 通話を切った晴人は、ふっと息を吐いた。 「これで、何もなければそれでいい」 「何もない、で終わるならいいけど」 美月の言葉に、晴人は苦笑するしかなかった。 しばらくして、作業服の監督員らしき男たちが堤防へ入ってきた。晴人と美月は少し離れた場所から見守る。点検用の棒で表面を確かめる音が、乾いた朝に小さく響いた。 「うわ、こりゃあ……」 「中、だいぶ空いてるぞ」 低い声が交わされる。晴人は胸を撫で下ろした。今はまだ静かでも、放っておけば危なかったのだろう。 「間に合った、のかな」 「たぶんね」 美月がほっとした顔を見せる。晴人も同じ気持ちだった。だが、安心が全部ではなかった。胸の奥に、別のざらつきが残っている。 監督員たちが補修の手配を始めたころ、晴人はふと、首から下げたカメラを持ち上げた。 「……もう一回、撮るか」 「まだ撮るの?」 「点検したあとに、何が見えるのか気になる」 レンズ越しに堤防の先を切り取る。現像したあとの輪郭を想像しながら、晴人は息を止めた。 戻った店で、暗室の赤い灯りの下、写真がゆっくり形を結んでいく。晴人は現れた像に言葉を失った。 そこに写っていたのは、ここではない別の場所だった。川沿いの堤防じゃない。もっと広く、もっと人の出入りが多そうな場所。しかも、その端が見慣れないほど不穏にざらついている。 「……これ、次の危ない場所だ」 美月が覗きこみ、息を飲む。 「さっきはここだったのに、もう別の場所?」 「点検したから、終わりじゃないってことか」 晴人は写真を持つ手に力を込めた。助けたはずなのに、未来はまだ続いている。しかも今度は、もっと大きな気配を引き連れて。 美月は写真を見つめたまま、静かに言った。 「晴人くん。これ、前より嫌な感じがする」 「……ああ。たぶん、俺も同じだ」 暗室の灯りの中で、次の一枚が黙って待っている気がした。

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