エラベノベル堂

残像のシャッター、明日へ余白を残す

全年齢

小説ID: cmneisd1a000p01n3abhav76i

7章 / 全10

夜半を過ぎても雨は止まず、窓ガラスに打ちつける音が町全体の鼓動みたいに続いていた。私は濡れた服のまま離れに戻り、机の上へ新しく現像した写真を並べた。どの一枚にも、さっきまで自分が立っていた分岐や、誘導に走る人影や、滲む非常灯が写っている。けれど不思議なことに、これまで胸を締めつけてきた決定的な恐ろしさが、少しだけ薄れていた。写真は災いの完成図ではなく、迷えば崩れる場所を示す印に見え始めていたからだ。 祖父の最後のノートを開き、読み返す。消すな。寄せるな。選べるようにしておけ。その下の余白に、今まで気づかなかった一文があった。たぶん雨に濡れて薄れていたのだ。写るのは災いそのものではない。人が同じ方角だけを見る時だ。私は息を止めた。事故も混乱も、水や火だけで起こるのではない。ひとつの恐れに人が一斉に引かれ、逃げ道を自分で狭めるとき、連鎖は大きくなる。祖父はそれを止めようとしていたのだ。 明け方、自治会館から連絡が入り、上流の雨量が想定を超えていると知らされた。今日が本番になる。私は写真を何枚か鞄に入れたが、もうそれを答えとしては持たなかった。必要なのは、誰がどこに立ち、どの声を次へ渡すかだ。会館へ着くと、昨夜顔を合わせた職員たちが眠そうな目のまま机を囲んでいた。私は祖父の地図を広げ、地下道の封鎖だけでなく、地上の横断歩道に人員を回すこと、商店街の裏から保育園へ抜ける細道は一方通行のように使うこと、高架下広場は一時集合にして長居させないことを提案した。消防団の年配の男性が深くうなずき、若い職員がすぐに無線で伝達を始める。 昼前には町のあちこちで、昨日より早く動きが出た。店主たちは自主的に荷物を高い棚へ移し、駅員は案内表示を外へ向け、保育園の前では迎えに来た保護者が互いに子どもの手を数え合っていた。私は合間にカメラを一度だけ構えた。シャッターを切る指は、もう祈るようではなかった。現像されたその一枚には、堤防脇の道でこちらを向く何人もの顔が写っていた。怯えだけでも、無関心だけでもない。まだ選べると知っている顔だった。写真の隅には、私ではなく、腕を振って誘導する雑貨店の主人と、その横で声を張る高校生まで映っていた。 空はなお暗かったが、私は初めて、この町が祖父一人の背中に支えられていたのではないと知った。受け継がれるべきなのは特別な力ではなく、危うさを一人占めしないやり方なのだ。雨雲の底でサイレンが鳴り始める。私はカメラをしまい、人の声が交差する表へ出た。次に来る波を、今度は町ごと迎え撃つために。

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