エラベノベル堂

だし香る午後、卵焼きに帰る

全年齢

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2章 / 全10

卵焼きを作るなら、もう少し自分の好みをはっきりさせてもいいのかもしれない。そう思って、私は夕方の台所で卵を三つ並べ、冷蔵庫を何度も開け閉めした。だしは残っている。砂糖もある。けれど、どう仕上げたいのかが決まらない。甘さを立てれば懐かしさに寄りそうし、だしを強くすれば落ち着いた味になる。箸を持ったまま立ち尽くしていると、母が買い物袋を下げて帰ってきた。 何をそんなに悩んでいるのかと笑われ、私は卵焼きの味を迷っているだけだと答えた。すると母は、昔の家では砂糖を入れていたけれど、あれは祖母が疲れないように工夫していたのだと教えてくれた。隣で聞いていた弟は、甘いのはご飯のおかずとしては少し強いと言い、そこへ友人からの通話がつながった。彼女は、朝に食べるなら塩気があるほうが目が覚めると即答する。人の好みは見事にばらばらで、私は思わず吹き出した。 結局、砂糖は控えめにして、だしを少しだけ足すことにした。卵を溶くとき、白身が切れる音が小さく響く。菜箸で混ぜながら、母の言葉と友人の声を思い返していると、不思議と気が楽になった。正解をひとつに決める必要はないのかもしれない。誰かの記憶に似せるだけではなく、いまの自分が落ち着ける味に近づければそれでいい。そう思った瞬間、台所の空気が少しだけやわらいだ。 最初の一枚はやはり少し焦げた。火加減を弱めるのが遅れ、表面に淡い色むらができる。それでも、次の一枚はうまくいった。巻くたびに厚みが増し、切り口はふわりとしている。仕上げに皿へ移すと、黄色の層がやさしく重なって見えた。弟が箸を伸ばし、母もひと口食べて、これは悪くないと言う。友人は通話越しに、今度はその作り方を教えてほしいと笑った。 私も食べてみる。甘さは控えめで、だしの香りがあとから追いかけてくる。祖母の味そのままではないのに、どこか安心する。むしろ今の家の空気まで巻き込んだような、少しあたたかい味だった。食べ終えるころには、さっきまでの迷いが嘘みたいに静かになっている。ふと見ると、母がもう一本作っておこうかと言い、弟は次は自分が焼くと張り切っていた。私は笑ってうなずく。卵焼きはただの夕飯ではなく、思い思いの好みが重なって、食卓をひとつにする合図になっていた。

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