焼き上がった卵焼きを皿に移したとき、綾香は思わず息を止めた。表面はきれいなきつね色で、形も悪くない。自分でも、少しうまくできたと思う。なのに、なぜだろう。胸の奥が、軽く痛む。 箸でひと切れつまんで、口に運ぶ。ふわりと甘い。塩気も、みりんのやわらかな香りも、ちゃんとある。けれど、舌の上に広がった瞬間、綾香は目を細めた。 「……似てるのに」 誰に言うでもなくつぶやく。味そのものは、たしかに記憶の中のそれに近い。けれど、どこかが足りない。輪郭の端がひとつ、抜け落ちているみたいだった。 綾香はもう一口だけ食べて、それから静かに箸を置いた。台所の匂いはまだ甘いのに、気持ちは甘くならない。むしろ、さっきまでぼんやりしていたものが、少しずつ形を持ちはじめる。 祖母だ。 その名前を心の中で呼んだだけで、胸がきゅっと縮んだ。大きな手。火加減を見ながら何度も卵を返す横顔。食卓の向こうで、当たり前みたいに笑っていた人。あの卵焼きは、たぶん味だけではなかった。焼きたてを差し出すときの、あの柔らかな間合いまで含めて、祖母の味だったのだ。 綾香は皿の上の卵焼きを見つめたまま、小さく笑った。 「そうか……味だけ、真似しても足りないんだ」 自分で作ったのに、少し悔しい。けれど、その悔しさは嫌ではなかった。忘れていたものに手が触れたような、そんな感覚がある。 食卓の上で湯気はもう薄れていた。それでも綾香は、ひと切れをそっと見つめ続けた。足りないものの正体は、まだ言葉にならない。けれど今、たしかに祖母の記憶が近くまで来ている。朝の静けさの中で、胸の奥に沈んでいた懐かしさだけが、ゆっくりと浮かび上がっていた。
だし香る午後、卵焼きに帰る
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