エラベノベル堂

だし香る午後、卵焼きに帰る

全年齢

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4章 / 全10

夕方の台所で、私はもう一度卵を三つ並べた。祖母の手紙を読んでから、胸の奥に残っていたざわめきは、懐かしさと少しの照れに変わっていた。私の卵焼きがいちばん好きだなんて、そんなふうに言われるとは思っていなかった。けれど手紙は確かに、昔の記憶の片隅であいまいだった輪郭を、そっとなぞってくれた。 だから今度は、誰かの正解を探すのではなく、あの言葉に似合う味を焼いてみようと思った。母は砂糖の量を少しだけ増やしてみたらと勧め、弟は焦げ目がつく直前で火を弱めるのがこつだと得意げに言う。友人には写真を送ると、ふわっとした厚みがあるほうが食べてみたいと返ってきた。みんな好き勝手なことを言うのに、不思議と全部が役に立つ。 ボウルに卵を割り入れ、だしを注ぐ。箸で混ぜるたびに、黄色がやわらかくほどけていく。砂糖は控えめに、それでも祖母の記憶へ少し寄せて、塩はひとつまみだけ。熱したフライパンに流すと、じゅわりと静かな音が広がった。前より落ち着いて手首を返す。端が少しだけ重なり、形が整っていくたび、台所の空気もすこしずつやわらいだ。 焼き上がった卵焼きを皿に移すと、色はやさしい金色だった。切り分けた断面から、湯気が細くのぼる。ひと口食べた私は、思わず息を吐いた。甘さは前より深く、だしの香りはあとから静かに追いかけてくる。祖母の手紙にあった好きという言葉が、味の形になって戻ってきたようだった。 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。届いたのは、今度は祖母本人からの電話だった。手紙は少し大げさに書いたけれど、本当はあなたが焼いた卵焼きを食べに来たかったのだと、笑い声まじりに言う。私は驚いて、まだ皿に残る卵焼きを見つめた。画面の向こうで祖母は、来週にはこちらへ来る予定だと続けた。 私は母と弟を見て、それからもう一切れを箸で持ち上げた。笑ってうなずくしかなかった。懐かしさをたどって作ったはずの卵焼きが、いつの間にか次の再会の約束になっている。台所の窓の外では、夕暮れがゆっくり濃くなっていた。

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