エラベノベル堂

だし香る午後、卵焼きに帰る

全年齢

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6章 / 全10

祖母が持ってきた紙片を囲んで、私たちはしばらく黙り込んだ。そこに書かれていたのは、甘さを抑えた卵焼きの作り方だった。だしをきかせ、火を強めすぎず、巻くたびに少し休ませる。見覚えのあるようで、どこか違う。祖母は目を細めて、昔の私はいつも適当に覚えていたから、これが本当かどうかは怪しいねと言った。私は思わず吹き出した。追いかけていたのは、記憶そのものではなく、記憶を確かめたくなる気持ちだったのかもしれない。 母が紙片を読みながら、じゃあ今夜はもう一度焼こうかと立ち上がる。弟は待ってましたとばかりに卵を冷蔵庫から出し、祖母は自分も手伝うと言って杖を壁に立てかけた。私は慌てて、せめて座っていてと止めたが、祖母は聞き入れない。あなたたちが作るのを見ているほうが落ち着かないのだと、いたずらっぽく笑う。 二度目の台所は、さっきよりもずっと静かだった。誰かが慣れない手つきで卵を割るたび、小さな音が響く。私は流しのそばで、砂糖とだしの加減を確かめた。母は火加減を見つめ、弟は巻き終わるたびに歓声を上げる。祖母は椅子に腰かけたまま、まるで昔からそうしていたように、やわらかく頷いていた。フライパンの上で卵がふくらみ、少しだけ焦げ目を帯びる。その匂いは、懐かしいのに新しかった。 焼き上がった卵焼きを切ると、断面は前より整って見えた。けれど、ひと口食べた私はすぐに分かった。昨日までの味とは違う。だしの香りが先に来て、あとから甘さが追いかける。そこに祖母の笑い皺みたいなぬくもりが残っていた。母も弟も同時にうなずき、これはこれでいいねと口をそろえる。祖母は一切れを飲み込むと、少し間を置いて、これなら次は私が習い直す番だと言った。 その言葉に、私は一瞬だけ戸惑った。完成したと思っていたものが、まだ続くと言われた気がしたからだ。けれどすぐに、胸の奥がふわりと軽くなる。卵焼きは、ひとつの答えを見つけるためではなく、誰かと何度でも作り直すためにあるのかもしれない。食卓の上には空になった皿が並び、窓の外では夜の気配が静かに降りていた。私は次に焼く日のことを思い浮かべながら、もう一切れを箸で持ち上げた。

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