老人が最後に乗る日まで、あと四日になった。悠真は乗務の合間を縫って、沿線の店や停留場の近くにいる人へ声をかけ続けた。大げさな催しではなくていい。ただ、あの広場に少しだけ人が集まって、電車のことを思い出せる時間があればいい。そう話すと、最初はみな曖昧に笑った。もう終わるものに何をしても変わらない。そんな諦めが、町には薄い冬雲のように広がっていたからだ。けれど、悠真が老人の約束のことを口にすると、空気は少しずつ変わった。 和菓子屋の女将は、じゃあ団子を少し多めに仕込もうかねと言った。八百屋の店主は、広場の隅に置くならみかん箱くらい貸せるぞと腕を組んだ。常連の老婦人は、昔の写真なら家にあるかもしれないと、帰り際に何度も頷いた。野末は相変わらずぶっきらぼうだったが、運行の隙間で使える時間を計算し、広場に近い停留場で少しだけ客の流れを整えられないか、所長に話を通してくれた。 できることはわずかだった。それでも、人の手から人の手へ火が移るみたいに、小さな準備が始まっていく。悠真はそのたび、路線図の上に見えない印が増えていくような気がした。 ある夕方、老婦人が古びた紙袋を抱えて車庫を訪ねてきた。中には色褪せた写真が何枚も入っていた。盆踊りのやぐら、提灯の列、子どもたちの笑顔。その一枚に、広場の記念碑の前で並ぶ夫婦と、小さな女の子が写っていた。帽子をかぶった若い男が照れたように立ち、その隣で女性が大きく笑っている。 あの人たちよ。 老婦人の指先は、写真の端をやさしくなぞった。悠真は胸の奥が熱くなるのを感じた。老人が毎朝見ていたものの輪郭に、初めて手が届いた気がした。 翌朝、老人はいつもの席に座る前、珍しく悠真のほうを見た。 もう準備はできましたか。 問いかけとも独り言ともつかない声だった。悠真はミラー越しに、はい、と短く答えた。何の準備かまでは言わない。けれど老人はそれで十分らしく、静かに頷いた。 車内には制服姿の高校生が一人、買い物袋を膝に載せた女性が一人、窓際で新聞を読む会社員が一人いた。どこにでもある朝の風景なのに、その日は少し違って見えた。この人たちもまた、知らず知らず同じ記憶の線路の上にいるのだとわかったからかもしれない。 終点で老人が降りるとき、悠真は思い切って声をかけた。 その場所、昔みたいに賑やかとまではいかなくても、きっと寂しくはならないと思います。 老人は足を止め、ゆっくり振り返った。驚いたような顔をしたあと、目尻に深い皺を寄せた。 それはありがたい。 短い返事だったが、その響きは朝の光よりあたたかかった。 発車ベルを鳴らしながら、悠真は前を向く。廃線の予定は変わらない。書類の数字も、会社の事情も、若い自分一人でどうにかできるものではなかった。それでも、なくなる前に確かめたいものがある人は、老人だけではないのだろう。町の人々は諦めていたのではなく、思い出し方を見失っていただけなのかもしれない。 レールの先にある広場は、まだ見えない。けれどそこへ向かう日が近づくほど、車輪の響きは不思議と力を増していった。
終点の先、町は記憶を連れて
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