エラベノベル堂

火星の癖、嵐の証言

全年齢

小説ID: cmnenaun5004d01n38keanl49

5章 / 全10

機械区画外縁は、人の気配よりも配管の震えが先に届く場所だった。朝比奈新は立ち入り表示の赤い灯を横目に、工具袋を抱えた保守員に頭を下げる。 「無理を言って悪い。点検記録、見せてもらえるか」 「別にいいさ。止めろと言われても、現場は現場だからな」 保守員は苦く笑い、端末を差し出した。新は画面を繰りながら、呼吸を浅くする。ここに来るまでのあいだにも、基地の壁越しに低い振動が伝わってきた。砂嵐のせいだと片づけるには、その揺れはあまりに機械的だった。 「……あった」 「何がだ」 「冷却系の交換予定。ここの区画、前から対象だったんだな」 記録には、交換予定日が何度も書き換えられていた。最後の欄だけが妙に乾いた文字で埋められ、予算調整のため延期とだけ残されている。 新は目を細めた。 「延期、じゃない。先送りだ。必要だと分かってて、止めたんだ」 「金がないってことか」 「違う。あるのに回してない」 保守員の顔から、冗談めいた色が消えた。新はさらに記録を追い、冷却系の部品番号と保守履歴を照合する。交換対象は、まさに彼が見つけた冷却負荷の上昇に直結する系統だった。 「これが動いていれば、負荷はここまで跳ねない。砂の偏りも、もっと穏やかだったはずだ」 「じゃあ、あの気象の変な癖は……」 「自然現象じゃない。少なくとも、自然だけの問題じゃない」 新は端末を握りしめた。冷却を抑え込めないのではなく、抑え込むための手を企業が止めていた。基地の空は勝手に壊れているんじゃない。壊れないようにする支えが、予算の名目で外されていたのだ。 「運営方針そのものが、原因だ」 言い切った瞬間、胸の奥で何かが冷たく固まった。誰かの見落としではない。偶然の事故でもない。基地の気候は、最初から無理を抱えさせられていた。 保守員が眉を上げる。 「そんな大事なら、上に言うのか」 新は一度だけ黙った。言えば潰される。もう知っている。だが、知ってしまった以上、黙るほうが裏切りになる。 「言う。けど、その前に証拠を固める」 「面倒な顔になってるぞ」 「最悪だな」 新はかすかに笑い、記録を保存した。機械区画の奥では、見えない冷気が行き場を失ったまま循環している。その不安定さが、基地全体の空気にまで指を伸ばしている気がした。 立ち入り制限の向こうで、赤い警告灯がひとつ、またひとつと瞬いた。

5章 / 全10

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