エラベノベル堂

火星の癖、嵐の証言

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6章 / 全10

緊急通信回線が開いた瞬間、観測棟の空気がわずかに変わった。見えない扉が開き、基地じゅうの息遣いがここへ流れ込んでくるようだった。トウマは指先の震えを机の縁に押しつけ、証拠一式を送信キューへ載せた。件名は飾らない。ただ、人工気候制御系広域異常の切迫と対策案。誰にも読み違えようのない言葉にした。 送信まで残り四十秒。その間にも、北西域の砂塵帯はさらに輪郭を濃くしていく。外部カメラの映像で、赤い帯は基地を囲む城壁ではなく、締まり続ける縄のように見えた。脈動周期は過去最悪だ。予測線が、さっきまでの二十八時間を自ら塗り替えていく。十二時間。九時間。計算が更新されるたび、未来が削られていった。 「補助ポンプ群、一系統が自動再調整に入った」 ラシードの声が通信に割り込む。 「熱交換塔の制御、先回りが強すぎる。これ、止めないと自分で跳ね返る」 ユナが保守系統図を展開し、ミナトが医療棟の簡易避難動線を共有し、ソヨンが農業区画の気密扉を手動待機へ切り替える。現場の判断が、企業の沈黙より速くつながっていく。その光景に、トウマはかすかな救いと、同じだけの怒りを覚えた。本来なら最初からこうあるべきだったのだ。 送信十秒前、運営管理室から優先通信が割り込んだ。真壁だった。 「相良君、回線の使用を停止しろ。未承認情報の拡散は規定違反だ」 声は静かだったが、その静けさの奥に初めて焦りがあった。 「もう拡散じゃない。現場の安全確保です」 「君は責任を取れない」 「隠した人たちも、取っていない」 返答を待たず、トウマは送信を実行した。 基地内ネットワーク、緊急通信、現場端末、個人携帯端末。保存していた数字も、削除された設計資料も、応急対策も、一斉に火花みたいに散っていく。次の瞬間、観測棟の全域で警報が鳴った。ついに公式の警報灯が赤く点ったのだ。遅すぎる開始だったが、遅すぎるだけで、まだ終わりではない。 外では砂の輪が大きくうねり、基地外縁の圧力膜に沿って赤い明滅を走らせた。システムが、外の揺れを抑え込もうとして逆に増幅している。まるで巨大な楽器が、自分の出した不協和音に耐え切れず軋み始めたみたいだった。 トウマは即座に対策手順を読み上げる。 「広域補正を切る。局所分散へ移行。先回り制御を停止、応答を半拍遅らせて共鳴を外す」 理屈は単純だった。相手より先に動こうとし続けるから、揺れが重なる。ならば一度、上手に遅れるしかない。 各区画から了解の声が返る。その最中、通信の隅で誰かが小さく言った。 「やっと本当の天気予報になったな」 トウマは画面に映る火星を見つめた。赤い砂嵐はなお基地を締めつけている。だがもう、それは隠された筆跡ではなかった。誰もが読める警告として、空の上にむき出しになっていた。

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