エラベノベル堂

見えない声、灯る高座

全年齢

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7章 / 全10

翌日の境内は、昨夜の冷えがまだ石畳の目地に残っていた。信一は拝殿の前で立ち止まり、風に鳴る鈴の音をぼんやり見上げた。耳に入るはずのない音まで、今日はやけに遠かった。袖の中の扇子が重い。あの通路で受けた言葉が、まだ骨の奥に引っかかっている。 「顔、まだだいぶ死んでますね」 横から由美の手が静かに動いた。からかうようで、責める調子はない。信一は苦く笑った。 「そりゃ死ぬだろ。あんなふうに言われたら」 「言われたことは消えません。でも、客が笑ったことまで消えたわけじゃないです」 信一は黙った。境内を横切る参拝客の影が、長く伸びては縮む。由美は少し間を置いてから、自分の手元を見た。 「私も、前にあったんです。音のない場所にいて、誰も私のいる理由を分かってくれないみたいだったこと」 信一は顔を上げた。 「音のない場所って」 由美は穏やかに、けれど目だけは少し遠くを見た。 「みんなが普通に話して、笑って、次の話題へ行ってしまう場所です。私は分かるのに、届かない。手を伸ばしても、最初から空気みたいに扱われる。それが続くと、自分の輪郭まで薄くなるんです」 信一は息を呑んだ。自分だけが見捨てられたと思っていた。その奥で、誰にも掴まれなかった寂しさが、別の形でずっとあったのだ。 「俺は、自分の声のことばかり考えてた」 「いいんです。最初はそうなります」 由美は信一の手元を指した。 「でも、あなたの舞台を見ている人は、声を失ったあなたを見るだけじゃない。届かなかった誰かも、そこに座れるかもしれない。そういう場所にしたい、って思ってくれたら、私はうれしいです」 信一は扇子を握り直した。昨日までの自分なら、舞台の型を守ることばかり考えていた。だが今は違う。自分が立つ高座を、失ったものの代用品ではなく、届かなかった側へも開く場にしたい。そう思うと、胸の奥で別の熱がゆっくり立ち上がった。 「説明は、増やさない」 信一は言った。 「足さなくても、見れば分かるものを増やす。客が自分で見つけられる余白を、もっと作る」 由美はすぐにうなずいた。 「その方が、自由です」 「自由か……」 信一は境内の空を見た。枝の間から落ちる光が、まだらに肩へ触れる。 「怖いな。でも、やってみたい」 「怖いのは、ちゃんと前に進むときです」 由美の指先が、扇子の先をそっと示す。信一は深く息を吸った。あの通路で凍りついた笑いが、少しずつほぐれていく。再演では、もっと自由に見せる。誰かの正しさに縮こまるのではなく、見えるものを信じる。信一はそう決めたところで、境内の奥へ続く石段を見た。まだ何も終わっていない。その確かさだけが、静かに背中を押していた。

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