葵咲の端末に映った断片を、蓮真人は研究区画のガラス越しに何度も見返していた。夜の廊下は白く、足音だけが硬く響く。企業ロゴの入った扉の前で立ち止まると、冷気の混じった空調が頬を撫でた。 「ここまで来たら、もう逃げ道はないですね」 葵咲が小声で言う。 「逃げる気はない」 「顔は完全に突っ込む人の顔ですけど」 真人は苦く笑った。手元の資料には、過去の判例と判定傾向の推移が並んでいる。真っすぐな線ではない。ある時期から、特定の言い回しや語順にだけ、真実の表示がやけに寄りやすくなっていた。 「見てくれ」 真人は印刷された数値を指した。 「単なる性能向上じゃない。判例に合わせて、真実認定の閾値そのものを少しずつ動かしてる」 葵咲の目が細くなる。 「つまり、法廷でよく出る型の証言を、真実っぽく通しやすくしてる?」 「そうだ。過去の傾向に寄せれば寄せるほど、AIは迷わない。迷わない判断は強い。でも、強いから正しいとは限らない」 扉の向こうから、静かな革靴の音が近づいた。現れた担当者は、整った笑みを崩さないまま名刺を差し出す。 「管理上の問題があったのは事実です。入力ログの偏りが、一部の判定に影響した可能性はあります」 「影響した、ですか」 真人は名刺を受け取らなかった。 「それで済む話ではありません」 「ですが、運用の範囲です。法廷は最終的に人が判断するものですから」 「人が判断する前に、癖をつける設計なら?」 真人の声は低かった。 「判定がどちらへ傾きやすいか、最初から方向づけられていたら、それは補助じゃない。法廷の判断に癖をつける仕組みだ」 担当者の笑みがわずかに固まる。 「表現が強すぎますね」 「強いのは設計のほうです」 葵咲が資料の一枚を裏返した。そこには、検証用の記録断片が、まるで同じ癖を何度もなぞるように残っている。 「先生、これ……偶然じゃありません」 「分かってる」 真人は扉の向こうの明かりを見た。研究区画の奥には、まだ閉ざされた部屋が連なっている気配がある。だが、今見えているだけで十分だった。あの即断は、真実を見抜いた顔をして、人の判断に方向を刻み込むように設計されていた。 「管理の問題で片づくなら、ここまで隠す必要はない」 真人は資料を閉じた。 「これは不具合じゃない。法廷そのものに癖を残すための、危険な設計だ」 担当者は何も言わない。葵咲も黙っている。廊下の照明だけが静かに白く瞬き、研究区画の扉は閉じたままだった。
真実は、判決の外で揺れる
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