和真は祖母の言葉を胸に、町外れへ向かった。店のある通りを抜けるほど、晩秋の空気は冷たく澄み、息を吐くたび白くほどける。子どものころ、京子に手を引かれて歩いた道だ。今は看板の色が変わった菓子屋の跡が、角を曲がった先でひっそりと塞がれている。 「ここ、まだ覚えてるな」 誰に言うでもなく呟くと、乾いた風が鼻先をかすめた。古い木戸の匂い、焦がした砂糖の匂い、紙袋に残る甘さ。和真は立ち止まり、記憶の底からそれらを一つずつ拾い上げる。京子がいつも、通りすがりに足を止めていた理由が、少しだけわかった気がした。 神社の石段は落ち葉で埋もれ、踏むたびにさらりと鳴った。賽銭箱の前で手を合わせる人影はなく、境内には焚き火のような香ばしさだけが薄く残っている。和真は目を閉じた。晩夏の屋台、初秋の月見団子、冬の湯気。季節はいつも、景色より先に匂いで記憶へ届く。 「香りって、こんなに場所を持ってるんだな」 神社を出ると、夕焼けの土手が広がっていた。草は枯れはじめ、風に擦れる音が乾いた紙のように耳に触れる。川面には赤みが薄く映り、遠くの鳥が一羽、低く弧を描いた。ここも京子と歩いた場所だ。沈む夕陽を見ながら、彼女はよく黙っていた。けれどその沈黙の中にも、何かを思い出している気配があった。 和真は土手の斜面を下り、草むらに手を差し入れた。指先に触れたのは、雨に濡れたわけでもないのに妙にしっとりした紙片だった。折れ目だらけの小さな綴じ紙。表紙は失われ、端も欠けている。だが中を開くと、細い字で書かれた献立帳の断片が残っていた。 「これ……京子さんの」 ページの隅に、春の桜葉、夏の青柚、秋の栗、冬の黒糖と、短い言葉が並んでいる。菓子の名ではなく、季節の組み合わせ。その一つ一つが、先ほど拾い集めた匂いと見事につながった。 和真は呼吸を止めたまま、紙面をなぞる。若いころの京子は、すでに季節を味だけでなく匂いで残そうとしていたのかもしれない。いや、もっと違う。彼女は、家族が同じ季節を一緒に思い出せるよう、ずっと前から準備していたのではないか。 「こんなの、隠してたのかよ」 声にすると、不思議と責める気持ちは湧かなかった。むしろ胸の奥が熱い。和真は献立帳の断片をそっと畳み、掌に乗せたまま夕焼けを見上げた。土手の向こうで、川風がもう一段冷たくなる。その冷たさすら、冬の予告のように感じられる。 家へ持ち帰るべきものを見つけた。だがそれは答えというより、まだ名づけられていない約束のようだった。和真は紙片を胸元にしまい、暗くなりはじめた土手を見下ろした。
香の包み、季はひらく
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