エラベノベル堂

香の包み、季はひらく

全年齢

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8章 / 全10

朝の冷えがまだ木の床に残るうちに、和真は店先へ出た。軒先の白い息が、いつもより静かに流れている。昨日まで何度も包みを開いては首をひねった試作品を、今日は慎重にひとつだけ並べた。見た目は小ぶりで、淡い色を重ねた菓子だった。 「これで、やっと形に……」 独り言の途中で、和真の手が止まる。京子が包み紙をめくった瞬間、ふわりと立つはずの香りが、思ったより早くほどけてしまったのだ。店先の空気へ散っていく、少し頼りない匂い。和真は顔をしかめた。 「だめだ。飛びすぎる」 近くで見ていた凛々が、息をのむ。 「中身は悪くないのに、開けた途端に全部いなくなりますね」 「発売前の披露でこれじゃ、話にならない」 和真は包みをそっと閉じた。失敗だ、と口にしたくなる。せっかく夜を重ねてたどり着いたのに、最後の一歩で足元が抜けた気分だった。 そのとき、京子が何も言わずに包みを受け取った。細い指が、紙の端をなぞる。 「ちょっと貸してちょうだい」 「京子さん?」 京子は眼鏡越しに菓子を見て、それから包装紙の向きを静かに変えた。ひと折り、またひと折り。まるで昔から知っていたみたいに、香りが逃げない側へ向けて折り直していく。 「こうすると、開いたときの空気の通り道が変わるの」 「そんなことで?」 和真が驚くと、京子はくすりと笑った。 「そんなこと、よ。けれど菓子って、味だけじゃないでしょう」 折り直された包みは、まるで別物のように落ち着いて見えた。和真がそっと手を添えると、今度は香りがすぐに散らず、指先の温度と一緒にゆっくり立ち上がる。 「……違う」 凛々が小さくつぶやく。 和真も息を止めた。さっきまで暴れていた香りが、紙の中に収まり、静かな光をまとっている。開けた瞬間、ただ強く来るのではない。薄い扉が一枚ずつ開くみたいに、春のやわらかさ、夏の涼しさ、秋の甘み、冬の深さが、順に肩を並べて顔を出す。 「落ち着いた……」 和真は目を見開いたまま、菓子を見つめた。 それは完成というより、ようやく呼吸を始めたようだった。京子の手で折り直された包装の内側で、四つの季節が静かに並び、光に照らされている。 「ほら」 京子が差し出す。 「季節の扉は、開け方ひとつで変わるのよ」 和真はその言葉に、胸の奥をそっと打たれた。菓子を整えるのは、自分だけの仕事じゃない。受け取る手があって、初めて形になる。 店先の冬の空気の中で、試作品はもう失敗作には見えなかった。まだ名前のないその一口が、静かに、しかし確かに輝き始めていた。

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