エラベノベル堂

深き回線、潮の黙示

全年齢

小説ID: cmnenbghw004n01n39jmdghce

4章 / 全10

「ここ、ですね」 美空が端末の光を手で覆いながら、錆びた倉庫の外壁を見上げた。港湾の明かりは遠く、足元の水たまりだけが薄く揺れている。大貴は周囲を一度見回し、声を落とした。 「座標は合ってる。こんな時間に人影がないのが逆に嫌だな」 「嫌なのは、それだけじゃないです」 鉄扉の隙間から、冷えた空気が漏れていた。二人は互いにうなずき、押し開く。中には、埃をかぶった旧式サーバーが列を成していた。低い駆動音が断続的に鳴り、死んでいるはずの部屋がまだ息をしているみたいだった。 「残ってる……」 美空がすぐに端末を接続する。画面に流れ込んできたのは、見覚えのある識別符号だった。第1話から消えない、あの短い記号。大貴の喉がわずかに鳴る。 「同じやつか」 「ええ。しかも、これ一つじゃない。断片が、まだ生きてます」 復号が進むたび、断片は奇妙な並びを見せた。気象情報の更新時刻、金融取引の急変、衛星通信の遅延。その間隔が、まるで同じ指示で揃えられた合図みたいに重なっていく。 「待てよ」 大貴が画面を指差す。 「これ、バラバラの記録じゃない。全部、ずらして見せてるだけだ」 「はい。通信の流れを、別の出来事に見せかけてます。海底ケーブル網を使って、情報を回してるんです」 美空の声が少し震えた。だが目は逸らさない。 「世界規模で、攪乱を起こすために」 その瞬間、倉庫の外で、靴音が止まった。 「中にいるのは分かってる」 低く押し殺した男の声が、鉄扉越しに響く。続けて、もう一人の気配。複数の影が、ゆっくりと扉の前に集まっていく。 「ログを渡せ。余計なことをするな」 大貴は美空の前に半歩出た。 「誰だ、お前たち」 返事はない。代わりに、扉を叩く硬い音がひとつ、ふたつ。逃げ道は裏口の狭い通路だけだった。 「美空、抜けるぞ」 「まだ、断片が」 「持っていける分だけでいい!」 二人は端末を抱え、機材の列の間をすり抜けた。背後で扉が乱暴に開く音がして、冷たい夜気が一気に流れ込む。倉庫の脇を走り抜け、積み上がったコンテナの影へ滑り込むと、追う足音がいくつも重なった。 「見失うな」 「港の方へ回れ」 声が近い。だが、顔は見えない。大貴は息を殺し、美空の手首を引いた。二人は濡れた地面を蹴って、暗い通路へ飛び出す。背後から伸びる気配だけが、港の闇にしつこくまとわりついてきた。 ようやく足音が遠のいた頃、大貴は息を切らしたまま立ち止まった。 「……逃げ切った、か」 美空は首を横に振る。 「いいえ。まだ、追われてます」 彼女の端末には、復号途中の断片が小さく残っていた。風の音に紛れて、遠くで誰かがこちらを探す気配がする。港の闇は深く、さっきまで倉庫にあった異様な駆動音だけが、まだ耳の奥に残っていた。

4章 / 全10

TOPへ