「まだ、追ってきます」 美空は息を整えながら、車の後部座席に身を沈めた。大貴も運転席へ滑り込み、エンジンをかける。港湾の闇を抜けたはずなのに、背中にまとわりつく視線だけが消えない。アクセルを踏むと、社用車は静かに路上へ戻った。 「とにかく、離れよう」 「ええ。でも、このまま逃げるだけじゃ足りません」 走り出した車内は、外より少しだけ暖かい。だが、その温度のせいで余計に現実味が薄れていた。美空は膝の上に仮設端末を置き、復号途中の断片をもう一度呼び出す。画面の光が、彼女の横顔を青く染めた。 「主任、見てください」 「何だ」 「これ、通信源が港じゃない。もっと深いところに向かってます」 大貴は信号待ちの短い間に画面を覗き込んだ。断片の座標列は、海底の旧型中継装置群を示している。倉庫で見た記号と同じものが、何度も規則正しく並んでいた。 「旧型中継装置か」 「ええ。しかも、一箇所じゃありません。複数の装置を経由して、同じ流れを作ってる」 美空はさらに文面を展開する。そこに並ぶのは、単なる記録ではなかった。ある国の緊急発令を示す語、別の国の経済措置を思わせる符号、さらに別の機関の公開時刻を連想させる並び。それぞれが、何かが起きる順番を予告するように編集されている。 「……これ」 大貴の声が低くなる。 「ただの情報じゃないな」 「はい。機密案件の発令順序を、先に書いてあるみたいです」 「予告してるってことか」 「それも、偶然じゃない。あらかじめ、流れを組んだ人がいる」 車は高架下をくぐり、街灯の少ない道へ入る。窓の外を流れる朝の気配はまだ薄い。早い時間のせいか、街は妙に静かだった。 「公的機関に連絡するか」 大貴が言うと、美空はすぐに首を振った。 「待ってください。さっきから、端末の通信履歴が変です」 「変?」 「アクセスした形跡が、今の私たちの操作より先にあります。誰かが見てるか、少なくとも覗かれてる」 大貴はハンドルを握る手に力を込めた。 「監視されてると?」 「ええ。連絡した瞬間、向こうに全部渡るかもしれません」 沈黙が車内に落ちた。ラジオもつけていないのに、どこかで砂をかむような雑音がした気がして、大貴は一瞬ミラーを見た。もちろん、そこには後続車も怪しい影もない。だが、見えないものに追われている感触だけは、確かにあった。 「じゃあ、どうする」 美空は端末を閉じ、まっすぐ前を見た。 「直接、見に行くしかありません。潜水艇を使って、海底で確かめる」 「今からか」 「今しかありません。中継装置群に何があるのか、私たちの目で見ないと」 大貴は短く息を吐き、次の信号で車を左へ切った。 「分かった。やるなら徹底的にやる」 「怖くないんですか」 「怖いさ。だからこそ、曖昧なままにはできない」 美空は少しだけ目を細めた。 「主任らしいですね」 「お前もだろ」 端末の画面には、消えかけた断片がまだ残っていた。海の底へ沈むような座標列が、まるで次の扉の鍵みたいに静かに光っている。二人は互いに何も言わず、その光を見つめたまま、潜水艇へ向かう決意だけを固めていた。
深き回線、潮の黙示
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