「やるしかないですね」 美空の声は低かった。隔離解析室の扉を開けた瞬間、基地全体の空気が変わった気がした。廊下の照明は落ち着いているのに、どこか鈍い。大貴は一度だけ周囲を見回し、肩越しに言った。 「連絡役の提案は切る。あっちに渡した瞬間、全部持っていかれる」 「賛成です。じゃあ、私たちで外へ送ります」 「外へって、どうやってだ」 美空は立ち止まり、短く息を吐いた。 「基地の通信はもう塞がれてるはずです。でも、保守信号なら話が別です」 「保守信号?」 「海底ケーブルの点検用の、定期確認波形です。あれを少しだけ偽装すれば、監視に引っかかりにくい最低限の路が作れます」 大貴の眉が上がる。 「そんなこと、できるのか」 「今ここでできる手段は、それしかないです」 二人は足早に基地屋上へ向かった。夜の風は冷たく、アンテナ群の金属がかすかに軋んでいる。背後に見えない目がある気配が、無言のまま追ってきた。 「急げ」 「分かってます」 美空は仮設端末を開き、指先で波形を組み替えた。画面に並ぶ線が、本来の保守信号の癖を真似る。大貴はアンテナの向きを確認しながら、周囲の音に耳を澄ませた。風の音、機材の微振動、遠くの波。どれも普段と同じなのに、今は全部が張りつめて聞こえる。 「よし、通る」 美空が小さく言う。 「今のうちに、最重要断片だけ逃がします」 送信の進行バーがゆっくり動く。大貴は喉の奥が乾くのを感じた。もし気づかれれば、次は本当に終わる。だが、美空の指は止まらない。わずかな揺らぎを信号に乗せ、監視の目をごまかしながら、断片を別系統へ滑り込ませていく。 「入った」 その瞬間、美空の端末に新しい文字列が浮かんだ。誰が見ても意味を取り違えそうな、短く冷たい一文だった。 「主任、これ……」 大貴は端末をのぞき込む。そこには、今回の通信網を最初に設計したのが、危機対応機関を名乗る連合組織だと示す記述が残っていた。 「危機対応機関?」 「ええ。しかも、ただの受け身じゃない。最初から、こういう流れを作る側だったみたいです」 大貴の表情が硬くなる。 「外の敵が仕掛けたんじゃない。危機を利用して、権力を集める側が作った網か」 「そう見えます」 美空は端末を握りしめたまま、静かに言った。 「守るための仕組みの顔をして、全部を集めていたんです」 風が強まり、アンテナの影が床に長く伸びる。大貴はその影を見つめ、短く息を吐いた。 「なら、相手は最初から敵だったわけじゃない。最初から、こちらを囲う側だったんだな」 「はい」 言い切ったあと、美空はもう一度画面を見た。送信は完了している。だが、完了の安心感よりも、もっと重いものが胸に落ちてくる。 大貴は屋上の縁に目をやった。暗い海の向こうで、何も知らないふりをした夜が広がっている。 「美空」 「なんですか」 「次に動く前に、俺たちが見つけたものは、もう消せないな」 美空は小さく頷いた。返事の代わりに、端末の画面が静かに暗転する。屋上には風だけが残り、二人の足元で、見えない回線の気配だけが冷たく脈打っていた。
深き回線、潮の黙示
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