午後の控室は、昼の熱気が少しだけ引いたぶん、壁の白さがやけに目にしみた。直樹は椅子を一つ借りて端末を開き、映像を何度も巻き戻しては止める。正彦の走りは乱れているようで、決定的な場面だけが妙に同じだった。勝負どころで、ほんの一瞬だけラインが外へ逃げる。そのたびに、前へ出るはずの力が細く切れる。 「ここです」 直樹は画面を指し、再生を止めたままグラフを横に並べた。 「外れてるのは大きくじゃないです。この一瞬だけです。自分では気づきにくいくらいの、ためらいの幅なんです」 黒田正彦は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。黙り方が、最初に会ったときより少しだけ重い。 「……俺が、そんなことしてるってのか」 「無意識だから、してる自覚が薄いんだと思います。でも、映像を重ねると毎回出てます」 正彦は鼻で笑いかけて、それきり笑えなかった。画面の中で自分が小さく外へ流れるたび、眉間に寄った皺が深くなる。 「言われてみりゃ、勝負どころで妙に息が詰まることはあるな」 「迷いです」 「迷い、か」 正彦はゆっくりと椅子に背を預けた。 「俺は脚が足りないから勝てないんだと思ってた。だが、お前の見方だと、脚の前に別のものが邪魔してることになる」 「ええ。だから、まずはそこを確認したいです」 直樹は端末を閉じずに続ける。 「次の練習走行で、同じ区間を何度か見直してもらえませんか。同じ場所で、同じ感覚が出るか確かめたいんです」 「軽い実験か」 「はい。癖が本当にあるなら、反復すれば見えてきます」 正彦は少しだけ口角を上げた。まだ半信半疑だが、完全な否定でもない。 「面白いことを言う新人だな。映像で俺を見直す奴はいても、こんなふうに言い切る奴は珍しい」 「外れたら外れたで、別の見方を探します」 「開き直りが早い」 「整備は準備が九割です」 その返しに、正彦は短く笑った。笑いは大きくない。それでも、控室の空気がほんの少しだけ柔らかくなる。 「いいだろう。次の走行で付き合う。お前の言う一瞬が本物なら、俺も見てみたい」 「ありがとうございます」 直樹は端末の画面に残った波形を見つめた。数字はまだ静かに並んでいるだけだ。けれど、その沈黙の奥で、正彦の走りが少しずつ言葉になろうとしていた。 控室の外から、誰かが自転車を押す音が近づいては遠ざかる。正彦はその音に耳を向け、次に直樹へ視線を戻した。 「じゃあ、見つけてくれ。俺の、勝負どころの迷いを」 直樹はうなずいた。 「はい。次は、同じ区間で確かめます」
踏み出す輪郭、風は遅れない
全年齢小説ID: cmnenc1l9000001mn45lafs0i
