夕方の風は、バンクの内側に入るといっそう露骨だった。頬をなでるというより、薄く押してくる。直樹は柵際に立ち、端末の表示を見ながら、通過ごとの位置とタイムを一つずつ打ち込んでいった。 「そこ、もう一回だ」 正彦の声が、周回を終えたばかりの自転車越しに届く。 「今の、何が違った」 「外へ逃げる角度が、少し大きいです。風が強い周回だと、癖が前に出ます」 「風のせいかよ」 「いえ、風で癖が見えただけです」 直樹は端末を横に向けた。画面には、何度も重ねた通過位置が細い線になって並んでいる。ほんのわずかな膨らみが、同じ地点で繰り返し現れていた。 正彦はそれを見て、苦い顔をした。 「こうして数字にされると、腹が立つな」 「悪い意味ですか」 「いや……逆だ。言い訳ができなくなる」 直樹は少しだけ息をついた。 「言い訳じゃなくて、原因が見えただけです。脚が止まったんじゃない。風で肩に力が入って、無意識に外へ逃げてる」 「そんなもん、分かるのか」 「分かります。記録に出てますから」 正彦はハンドルを握り直した。さっきまで強張っていた肩が、言葉を聞いた拍子にわずかに落ちる。 「……そうか。俺は、また力んでたのか」 「はい。でも、力みは直せます。今はそれが見えただけで十分です」 「十分、か」 正彦は苦笑し、それから小さくうなずいた。次の周回へ向けて踏み出す姿は、先ほどより少しだけ滑らかだ。 「直樹。お前の言う通りなら、俺は走り方を知らなかったわけじゃない。ただ、怖がってただけだな」 「怖さまで含めて記録してます。だから、消すより先に扱い方を考えればいいです」 「言い方が冷たいな」 「事実です」 そのやり取りに、正彦は短く笑った。笑った瞬間、肩の角がほんの少し崩れる。 だが、柵の向こうから飛んできた声が、その空気をすぐに切り裂いた。 「おい、整備士。選手の走りにまで口出しかよ」 「データ屋のくせに前へ出すぎだろ」 別の選手も、面白半分の冷ややかさを混ぜて言う。笑いは軽いのに、輪の外へ押し出す力だけは強かった。 直樹は顔を上げたが、言い返さない。正彦だけが、少し遅れてそちらを見る。 「今のは、別に悪くないだろ」 「悪くはない。だが、現場は口より手だろ」 そう返されると、空気はさらに重くなった。風の音だけが、やけに長く通り過ぎていく。 正彦はハンドルに視線を落とし、しばらく黙ったままだった。けれど次の瞬間、もう一度直樹を見る。 「続けるぞ」 「はい」 「数字で言われると、腹は立つ。けどな」 正彦は前を向いた。 「少し、肩が軽い」
踏み出す輪郭、風は遅れない
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