エラベノベル堂

踏み出す輪郭、風は遅れない

全年齢

小説ID: cmnenc1l9000001mn45lafs0i

6章 / 全10

検車場の空気は、夕方へ傾きはじめた冷たさを含んでいた。直樹が端末を確認すると、さっきまで静かだった通信欄が、妙に騒がしくなっている。自分の分析が、思った以上の速さで広がっていた。 「……拡散、か」 独り言が漏れる。正彦が車体のそばで振り返った。 「何かあったのか」 「俺のまとめが、ネットで回ってます。黒田さんの癖と、次の走り方の予測まで」 正彦の表情がわずかに強張る。すぐ近くで、ほかの選手たちがこちらをちらちら見ているのが分かった。視線の質が違う。面白がりではない。警戒だ。 「つまり、俺はもう読まれてるってことか」 「ええ。でも、読んだ側も同じです」 直樹は画面を閉じずに続けた。 「相手がデータを見れば、対策を変えてきます。癖を消すだけじゃ、たぶん足りない」 「じゃあ、どうする」 正彦は低く尋ねた。さっきまでの動揺を、無理やり押し込めるような声だった。 直樹は一度だけ息を整える。 「癖を消すんじゃなくて、使います」 「使う?」 「そうです。見えている癖なら、逆に見せ方を変えられる。相手がそこを塞ごうとするなら、塞がせたところに別の力を通す」 正彦は黙った。整備台の金属が、どこか遠くで小さく鳴る。 「弱点を武器にするってことか」 「はい。全部隠そうとすると、走りが硬くなる。だったら、癖の出る場所を自分で選ぶんです」 正彦は車体に手を置いたまま、じっと直樹を見る。疑いではない。初めて手応えを掴んだ顔だった。 「そんなこと、できるのか」 「できます。相手もデータを見て変えてくるなら、こっちも見られる前提で変えるだけです」 その瞬間、正彦の目に熱が戻った。勝ち負けの話とは別の、久しく忘れていた種類の高揚だった。 「面白えな」 「面白いですか」 「自分の弱点を、相手が気にする札に変えるんだろ。今までの俺なら考えもしなかった」 直樹は端末を握り直す。 「だから、正彦さんが怖がる場所も、次は利用できます。癖は消さない。流れを奪われない形に組み替えるんです」 正彦は短く息を吐いた。肩の力が、少しだけ抜ける。 「……俺の走りが、武器になるのか」 「なります。少なくとも、まだ終わってません」 警戒していた周囲の選手たちが、何かを確かめるように視線を交わす。その中で、正彦だけが真正面を向いた。 「よし。なら、明日は俺の癖で驚かせてやる」 直樹はその言葉に、思わず小さく笑った。拡散された数字は、もうただの評価ではない。相手を動かす火種になっている。 その火の中で、正彦は自分の弱さが形を変える気配を、はっきり胸に感じていた。

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