エラベノベル堂

踏み出す輪郭、風は遅れない

全年齢

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8章 / 全10

雨が上がったばかりのバンクは、見慣れたはずのコースなのに、別物みたいに光っていた。直樹は柵の内側でしゃがみ込み、手のひらで路面をそっと確かめる。乾いているようで、指先にはまだ薄い湿り気が残る。 「……まずいな」 思わず漏れた声に、正彦が隣で眉をひそめた。 「何がまずい」 「水分の残り方が、場所ごとに違います。ここ、思ったより滑る」 「そんなにか」 「はい。昨日までの予測だと、もっと素直に隊列が動くはずでした」 正彦はバンクの先を見た。さっきまでの自信が、少しだけ揺れている。 「じゃあ、全部外れたのか」 直樹は首を振った。 「全部じゃないです。崩れたのは、みんな同じです。路面が変わって、警戒の仕方が一段上がっただけだ」 「……警戒の仕方」 「ええ。選手たち、思った以上に慎重になってます。走りを見せるより、崩れないことを優先してる」 正彦は短く息を吐いた。焦りはある。だが、直樹の言葉を聞いているうちに、ただの失敗ではないと分かってくる。 「つまり、俺の読みが甘かったんじゃなくて、相手が余計に神経質になったってことか」 「そうです。外れたのは、予測そのものより、相手の警戒が一段上がった証拠です」 正彦はその言い方に、少しだけ目を見開いた。 「そう考えるのか」 「失敗で片づけるには早いです。相手が本気で警戒してるなら、こっちも予定を変える価値がある」 直樹は端末を開き直し、濡れた路面と風向きを重ねて表示する。 「序盤で無理に形を作ると、足を取られます。だから、勝負は最後の直線に合わせます」 「最初から、そこだけ狙うのか」 「はい。途中で仕掛ける余裕が削られたなら、無理に広げない。最後に集めた方が勝てる」 正彦は黙って画面を見つめた。数字が並ぶだけの表示なのに、いつもよりずっと厳しい顔をしている。 「直樹」 「はい」 「お前、外れたのに平気そうだな」 「平気じゃないです。ですけど、ここで折れたら意味がない」 その返しに、正彦はふっと笑った。 「そういうとこだよな。お前は、失敗を失敗のまま置かねえ」 「置いても勝てませんから」 「言い切るな」 「はい。でも、今はそれでいいです」 雨上がりの風が、まだ湿った路面を撫でていく。正彦はバンクの向こうに視線を投げ、ゆっくり頷いた。 「分かった。最後の直線まで、全部削っていく」 直樹も端末を閉じずに応じる。 「ええ。そこに合わせましょう」 二人の間に、焦りとは違う緊張が生まれる。外れた予測は終わりではなく、相手が本気で構えている証拠だった。正彦はハンドルを握り直し、直樹はその横で次の数字を打ち込む。濡れたバンクの上で、勝負はもう一度、直線だけに収束していった。

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