エラベノベル堂

孤島綴り、沈黙の継ぎ目

全年齢

小説ID: cmnenc97j000301mnwniq38lk

3章 / 全10

休憩の合図が出ると、図書室の息苦しさが少しだけほどけた。俺たちは中庭へ出され、低い柵の向こうに見える海を、黙って横目で見る。潮の匂いは相変わらず濃いのに、石畳の上には夕方のぬるい光が残っていた。 「さっきの導入、結局どっちが先なんだよ」 誰かが笑い混じりに言う。輪の中心にいた男が肩をすくめた。 「知らねえよ。俺は俺の覚えた通りに書いただけだ」 「覚えた通り、ね」 別の受刑者が、わざとらしく鼻で笑う。その瞬間、会話の輪が妙に狭くなった。 「でも、お前、島に来る前のこと、あんまり話したがらないよな」 「今さら何だ」 「いや、だってよ。あの事故の件」 空気が止まった。 俺は思わず顔を上げた。事故。誰もあえて触れなかった言葉が、石を投げ込まれたみたいに輪の中へ落ちる。 「事故って、何のだ」 「港近くで起きたやつだろ。あの夜、見た奴がいるって話」 「おい、勝手に話を広げるな」 男の声が一段低くなる。だが、止めるにはもう遅かった。 「だって、お前が島に送られる前に関わってたって――」 「やめろ」 その言葉は、怒鳴り声じゃなかった。なのに、輪の外にいた俺の胸までひやりと届いた。 別の受刑者が、じっと男を見た。 「違うのか」 「違う。俺は、そんなふうに聞かされたことはない」 「聞かされたって何だよ」 「俺の記憶では、最初に見たのは壊れた柵だった。人が倒れてたんじゃない。だから――」 「そんな話、聞いてない」 被せるように言われ、男の顔つきが変わった。 「待て。今のは俺の見た順番だ。勝手に省くな」 「省くも何も、最初からそうじゃなかっただろ」 「だったら、お前は何を覚えてる」 声が荒くなるほど、輪の中の沈黙が濃くなる。誰も割って入らない。否定された男は、唇を噛み、それでも引かなかった。 「俺は見たものを言っただけだ。あんたらが都合よく並べ替えてるんだろ」 その一言で、周囲の視線が刺さる。 教官は少し離れた場所で、柵にもたれずに立っていた。止めもしない。ただ、何かを確かめるようにこちらを見ている。 俺はその視線の冷たさに、なぜか喉の奥が詰まった。休憩のはずなのに、誰も休めていない。事故の話は、まだ輪郭すら曖昧なのに、そこに触れた誰かの記憶だけが妙に生々しい。 「語り直してみてください」 教官が静かに言った。 「あなたの見た順番を、最初から」 男は一瞬だけ目を閉じた。次に開いた目には、さっきまでの苛立ちとは別の色があった。 「……俺が見たのは、壊れた柵じゃない。先に、誰かの声がした」 その言い直しに、男の表情が硬くなる。だが俺は、ただの言い換え以上のものを感じていた。自分の記憶が、他人の口で削られていくような気味の悪さだ。 否定された男は、ゆっくりと拳を握った。 「そうやって、また俺の言葉を変えるのか」 夕方の光が、柵の金属に鈍く反射した。誰も次の言葉を見つけられず、中庭には潮風だけが通り抜けていった。

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