エラベノベル堂

孤島綴り、沈黙の継ぎ目

全年齢

小説ID: cmnenc97j000301mnwniq38lk

4章 / 全10

夜の宿舎は、昼間のざわめきを飲み込んで妙に静かだった。廊下の明かりは薄く、共有端末のまわりだけが白く浮かび上がっている。俺たちは紙束を挟んで向かい合い、さっきまで中庭でぶつけ合っていた記憶を、今度は文字の形で突き合わせていた。 「ここ、誰が書いたんだ」 「俺じゃない。いや、でも似た場面は見た」 「似た、じゃ逃げるなよ」 誰かが笑ったが、すぐに笑いでは済まなくなる。小説の中の登場人物が、いつの間にか現実の俺たちの癖や口調をまとっているのだ。言い切る癖、黙り込む癖、肝心なところで目を逸らす癖。紙の上の誰かは、もう架空の人間ではなかった。 俺は読み上げられる文を聞きながら、背中がじわりと冷えるのを感じた。あの人物があの柵を見たのではなく、誰かの声を先に聞いた、という一文。昼間の語り直しで出てきた言い方と、見事に重なっている。 「これ、さっきの言い直しと同じだぞ」 「偶然だろ」 「偶然で片づけるには、ちょっと嫌な一致が多すぎる」 沈黙が落ちた。机の向こうで、別の受刑者が紙の端を親指でなぞる。自分の過去を隠しているのか、それとも本当に違う記憶を抱えているのか、もう区別がつかない。誰が何を知っているのかが、文ごとに揺らいでいく。 そのとき、教官が初めて口を挟んだ。 「その一文は残してください」 声は平坦だった。いつも通り中立で、公平で、何の感情もないように聞こえる。けれど、教官の視線だけが、机の端に置かれた紙の一行に吸い寄せられている。 「どの一文ですか」 俺がそう聞くと、教官はすぐには答えなかった。ページを一枚めくる音だけが、やけに大きい。 「あなたたちがいちばん目をそらしたがっている一文です」 誰かが息を呑んだ。教官はそれ以上は言わず、また名簿のような書類へ視線を戻す。だが、さっきまでの無表情の底に、微かな緊張が確かに見えた。 「つまり、それが重要だってことか」 「そう受け取ってかまいません」 俺は紙面に目を落とした。たった一行なのに、そこだけが妙に熱を持っている気がした。現実の記憶と物語の言葉が、薄い紙一枚を挟んで重なり始める。誰かが知っていて、誰かが隠している。その境目が、もう見えない。 机の上の原稿は、まだ完成にはほど遠い。それでも、今夜の読み合わせで初めて、俺たちは同じ一文を見て同じように黙った。教官だけが、その沈黙の中央で、あの文を見据えたまま動かなかった。

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