エラベノベル堂

孤島綴り、沈黙の継ぎ目

全年齢

小説ID: cmnenc97j000301mnwniq38lk

8章 / 全10

椅子を鳴らしたのは、これまで一度も議論の中心に立とうとしなかった年長の女性だった。彼女はゆっくりと背筋を伸ばし、膝の上で組んでいた手をほどいた。その指先は震えていたが、声は不思議なくらい澄んでいた。 あの子だけに背負わせたのは、私たちよ。 誰も口を挟まない。彼女は机上の原稿ではなく、窓の外の見えない森を見たまま続けた。 温室の管理当番、あの日は私と彼だった。鍵を持っていたのも私。だけど、閉じ込めたのは最初から罰を与えるつもりだったわけじゃない。ただ、少し頭を冷やさせようとしたの。泣いて騒いで、秘密をばらすって言ったから。 秘密、という言葉に真緒の胸が詰まった。中年の男が顔を上げる。よく笑う男は目を閉じ、爪を短く切りそろえた女性は浅く息を呑んだ。 当時、施設では外に出せないことがいくつもあったの、と年長の女性は言った。暴力ではなくても、追い詰めるような指導。見て見ぬふりをした記録。あの子はそれを知ってしまった。温室で言い争いになって、鍵を外から回した。すぐ戻るつもりだった。でも、鈴が鳴る前に、外で揉めたの。誰が責任を取るか、どう説明するか、そればかりで。 六時十二分、と青年が低く言った。 女性はうなずいた。 あの時計を見た時刻よ。止まっていたんじゃない。私がその時刻だけ覚えてしまったの。 真緒の中で、ばらばらだった印がひとつの形を取り始めた。鍵は閉じ込めた事実。時計は見ていた時刻。鈴は鳴らなかったのではなく、鳴らされる前に大人たちの逡巡が覆いかぶさったのだ。しかも、それを一人の加害に整理して済ませるため、順番まで書き換えられた。 折口がようやく顔を上げた。私は報告書を書き直した、と掠れた声で言う。閉鎖区画の設備不良にした。個人の判断ミスを事故へ薄めれば、施設は守れると思った。 守れたのは、面子だけです。 真緒の声は自分でも驚くほど静かだった。青年は何も言わない。ただ、長いあいだ喉に刺さっていたものが少しだけ動いたような顔をした。 中年の男が唇を震わせた。俺は鍵を開けるのが遅れた。騒ぎを大きくしたくなかった。悪意じゃない、本当に、そう思っていた。だが最後の言葉は、自分で自分を裁くみたいに弱かった。 会議室の空気は、張り詰めているのに奇妙に澄んでいた。誰か一人を怪物にして終われない真実が、ようやく姿を現したからだ。小説の中に埋め込まれていた矛盾は、責任を散らすためではなく、散らされた責任を拾い集めるための印だった。 真緒は白紙を引き寄せた。ここに書くべきなのは、密室の中で起きた一度きりの出来事だけではない。その前に交わされた言葉、その後に選ばれた沈黙、そして語る順番を奪われた一人が、物語の形で何度も真実へ戻ろうとした軌跡だ。彼女がペンを取ると、誰も止めなかった。止められないところまで、もう来ていた。

8章 / 全10

TOPへ