エラベノベル堂

豚汁謎解き帖

全年齢

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5章 / 全10

「……これ、誰が書いたのかな」 彩花がノートの端を指でなぞった。部室の蛍光灯は少しだけ白すぎて、紙の上の鉛筆の跡まで容赦なく浮かび上がらせる。香織は椅子に腰かけたまま、無意識に息を止めていた。 彩花が見つけたのは、味噌の配合を記したページのすみに走った小さな走り書きだった。文字は乱れているのに、妙に消え入りそうな力がある。 祖母の味に戻したい。 「戻したい、って……」 美紀が言いかけて、そこで口をつぐむ。凛桜もノートを覗き込み、いつもの無表情を保とうとして、わずかに視線を揺らした。 「これ、ただのメモじゃないよね」 「うん」 彩花はうなずいた。 「たぶん、すごく……大事なことなんだと思う」 香織はその一文を見つめた。鋭い後味の理由を、悪意やいたずらに結びつけてしまいそうだった自分が急に恥ずかしくなる。鍋に触れた誰かは、何かを壊したかったわけじゃないのかもしれない。失われた記憶を、少しでも手元に戻したかっただけかもしれない。 でも、それならどうして黙っていたのか。 どうして、味を変える必要があったのか。 「……言い出せなかったんだろうね」 美紀がぽつりと言う。 「え?」 「こんなの、勝手に見つけたら怒るかもしれないし。自分の家の味を持ち込むなんて、わがままだって思われるかもって」 彩花が唇を噛んだ。 「でも、だからって、みんなの記録をいじるのはだめだよ」 「うん」 美紀はすぐにうなずいた。 「そこは、だめ」 凛桜がノートを静かに閉じる音だけがした。 「悪意ではない、というだけで、全部が許されるわけじゃない」 その声は低く、けれど冷たくはなかった。むしろ、誰かを庇うために言葉を選んでいるように聞こえる。 香織はノートの端に視線を落としたまま、胸の奥がざわつくのを感じていた。怒ればいいのか、同情すればいいのか、そのどちらも正解に思えない。 彩花は椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。 「祖母の味、ってさ。そんなに大事なんだね」 「大事だよ」 美紀が小さく返す。 「忘れたくないものって、あるじゃん」 その言葉に、部室の空気が少しだけ沈む。誰かを責める声は出ない。ただ、怒りと同情が互いに行き場を失って、細い糸みたいに部屋の中を張りつめていた。 香織は走り書きをそっと指先で押さえた。 「書いた本人がいるなら、ちゃんと話してもらわないと。けど今は……」 「今は?」 「まだ、決めつけない」 彩花は不満そうに口を結んだが、反論はしなかった。凛桜も視線を落としたまま動かない。 誰を信じるべきか分からない。なのに、ノートの端の一文だけがやけに温度を持って見える。 香織は静かに息を吐いた。 「このまま、味だけで全部を断ち切るのは違う気がする」 誰も答えない。 部室の時計が、やけに大きく鳴った。

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