コンテスト当日の朝、商店街の広場はまだ冷えた空気の底にあったのに、鍋に火が入ると一気に祭りの顔になった。白いテントの下で、各店の湯気が競うように立ちのぼる。私たち料理部の鍋も、昨日の確認通り、迷いなく進んでいた。だしは澄み、焼きつけた豚肉の香りが立ち、野菜の甘みもちゃんと鍋の底から浮かび上がってくる。ここまでは完璧だった。なのに、配膳直前のひと口で、私はまた小さな引っかかりを覚えた。昨日の仕上がりより、味噌の香りがわずかに平たい。 まさかと思って味噌の容器を見ると、ふたの縁に薄く赤い粉がついていた。七味ではない。福田味噌蔵の樽に使う識別用の朱だ。昨日、福田さんが小分けしてくれた袋にはそんなものはなかった。誰かが会場で、別の容器にすり替えようとしたんだ。 胸が冷えたけれど、不思議と手は震えなかった。思い返せば、乾物屋の棚札も、味噌の並びも、どれも大きな破壊じゃなく、失敗に見せかけるための細工だった。だったら今回も同じだ。私は真帆に容器を預け、結衣に記録用のスマホを回してもらった。杉本精肉店、丸新青果、福田味噌蔵、それぞれから受け取った時の写真。袋に書かれた配合名。乾物屋のおばあさんの証言をメモしたノート。ここ数日集めたものが、調理台の上で一本の線になった。 ちょうどその時、再開発の説明会で見た背広姿の男が、審査席の近くにいた。駅前カフェの店長も少し離れて立っている。私は鍋の前から離れず、けれど広場中に聞こえる声で福田さんを呼んだ。 この味噌、蔵のものと香りが違います。確認してもらえますか。 ざわめきが広がる。福田さんは容器の中身をひとなめし、すぐに顔を上げた。うちの札を使ってるが、中身は違う。塩を立たせた試作品だ、と。私は写真と袋を示し、昨日受け取ったものとは別物だと説明した。乾物屋の棚札の件も、出汁の袋の件も続けると、人の視線が少しずつ背広の男へ集まっていく。男は笑ってごまかそうとしたけれど、駅前カフェの店長が低い声で、私はここまで聞いていないと言った。利害だけでつながっていた細い糸が、そこで切れた気がした。 でも、私はその先を責め立てなかった。代わりに鍋へ向き直る。 まだ間に合います。塩気は出ているから、足りないのは香りの厚みと甘みです。 私は本来の味噌を入れ直し、真帆に玉ねぎのすりおろしを加えてもらい、結衣には別鍋で温めていただしを少しずつ合わせてもらった。強すぎる輪郭を、だしでほどき、野菜の甘みで受け止め、味噌の香りで結び直す。鍋は一度崩れても、理屈がわかっていれば戻せる。お玉でゆっくり混ぜると、さっきまで浮いていた塩気が落ち着き、豚の旨みが全体に広がっていくのがわかった。 ひと口すすり、私はうなずく。これならいける。 広場のざわめきは消えていなかったけれど、その中心にあったのは疑いよりも、見届けようとする静けさだった。私は湯気の向こうに並び始めた人たちを見て、お玉を持ち直した。ここから先は言い争いじゃない。私たちの一杯で示す番だった。
豚汁謎解き帖
全年齢小説ID: cmneojn6p000y01q73fldr3wi
