広場の片づけが一段落したころ、提灯の明かりはすっかり夜の色に沈んでいた。空になった鍋を洗い場へ運ぶ途中、私はふと足を止めた。さっきまで人で埋まっていた会場の真ん中に、まだ湯気の気配だけが残っている。にぎやかな祭りのあとにある静けさは、いつも少しだけさみしい。でも今日は、その静けさが次の何かを待っているように思えた。 菜々、と呼ばれて振り向くと、篠崎先生が紙を一枚持っていた。商店街の役員会で急きょ決まったらしい。来月、再開発の話し合いの前に、商店街の各店と学校、それに新しい店も交えて、小さな食の会を開くという。対立しているままでは決められないから、まず同じ卓を囲もう、と。先生は笑って、その最初の進行役に料理部も入ってほしいってさ、と言った。 私は思わず紙を受け取る。そこには丸新青果、杉本精肉店、福田味噌蔵、駅前カフェの名が並び、その下に県立北高料理部と書かれていた。勝負が終わったのに、鍋の火は消えていなかったのだ。 すごいですね、と結衣がのぞき込み、真帆は肩で私をつついた。ほら、優勝より面倒で、優勝より大事な仕事来たよ。 その言い方がおかしくて、私は吹き出した。たしかにそうだ。順位なら一つで済む。でも人と人の間にある温度をそろえるのは、もっと難しい。味噌の配合みたいに数字で決められないし、火加減みたいに目で見えるわけでもない。 それでも、今日の私は前より少しだけ、そのやり方を知っている気がした。ずれた味を責めるだけでは戻らないこと。何が足りなくて、何が強すぎるのかを見極めれば、崩れた一杯にもまた輪ができること。料理と人の間には、よく似たところがある。 駅前カフェの店長が帰り際、今度は本気で一緒に何か作りましょうと言っていたのを思い出す。福田さんは若い人向けの味噌を改良したいと言い、丸新のおじさんは地元野菜だけで勝負できる時期を教えてくれると張り切っていた。今日までは別々の店先で湯気を上げていた人たちが、もう次の鍋の話を始めている。 私は広場の端から商店街を見渡した。古い看板も、新しいガラス窓も、夜の中では同じ色に溶けている。守るか変えるか、その二つしかないと思っていた景色が、今はもっとたくさんの味を持って見えた。 帰ろうかと真帆が言う。うん、と答えて歩き出しかけたとき、背後からふわりと豚汁の香りがした。もう鍋は空なのに、風が屋台の木の匂いと一緒に残り香を運んできたのだと思う。その一瞬だけ、私は今日の全部を飲み込めた気がした。 優勝できなかった悔しさも、鍋を立て直した緊張も、商店街の人たちが見せた顔も、全部が一つの出汁になって胸の中に沈んでいく。いつか私は、もっと大きな場所で料理をしたい。たくさんの人が、自分の立場のまま、それでも同じ卓につけるような料理を作りたい。 提灯の明かりが一つ、また一つと消えていく。その下で私は、もう空っぽになったお玉を握り直した。今日の一杯は終わった。でも、次に火を入れる鍋は、きっとここから始まる。そう思うと、冷えた夜道さえ少しだけ湯気を帯びて見えた。
豚汁謎解き帖
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