封筒を胸に抱えたまま、海斗は慎のあとを追って見晴らし台を下りた。夕方の斜光は斜面の木々を長く伸ばし、終点駅の屋根も、どこか薄い紙みたいに頼りなく見える。 「駅に戻るんですか」 「そうだ。ここで開けるな」 慎は封筒へ一瞬だけ目をやり、すぐ前を向いた。 「じゃあ、どこならいいんですか」 「旧待合室だ。もう使っていない、閉めたままの部屋がある」 海斗は足を止めかけた。 「そんな場所、まだ残ってたんですね」 「残ってる。残されてる、と言ったほうが正しいかもな」 その言い方が引っかかった。駅へ戻るあいだ、海斗は封筒の厚みを指先で確かめる。中には紙だけではない、もっと古い気配が重なっている気がした。改札鋏も、胸元で小さく震えている。 終点駅の端、観光客が通らない側道の先に、板張りの旧待合室はあった。窓は埃で曇り、扉には使われなくなった時代の鍵が掛かっている。 「本当にここですか」 「静かにしろ。床を見るんだ」 海斗が改札鋏を構えると、鈴の底を撫でたみたいな微かな音が返った。次の瞬間、慎が床板の継ぎ目に膝をつき、細い金具を探り当てる。 「ここか」 がた、と低い音がして、床板がわずかに浮いた。海斗は息を呑む。 「隠し扉……」 「声を抑えろ。誰に聞かれるかわからない」 重い板を持ち上げると、冷えた空気が下から立ちのぼった。海斗は懐中を覗き込み、そこに続く狭い梯子を見つめる。 「降りるんですか」 「お前が見つけた。行け」 梯子を下りた先は、地下一面の小さな納戸だった。湿った木の匂いの中に、整然と並べられた持ち物がある。古い帽子、折りたたまれた上着、名の書かれた小箱、色褪せた日用品。どれも埃をかぶっているのに、乱れた感じがない。 「……これ」 海斗は声を失った。失踪者たちの物が、誰かに大切にしまわれていた。 「持ち主ごと捨てたんじゃない」 慎の声はかすれていた。 「忘れないために、残してたんだ」 海斗は改札鋏を近づける。だが鋏が鳴ったのは、棚の上の品ではなく、奥の壁に留められた古い記録紙だった。そこには、町の移り変わりを追うようなメモが細かく残されている。道筋、日付、差し替えられた案内の文言。誰かが消えていく歴史を、こっそり拾い集めた跡だった。 「この人が……」 海斗は記録紙の端を追い、途中で言葉を失った。 「名前が、ない」 署名があるはずの場所だけが、きれいに欠けている。そこだけ紙が白く、まるで最初から何も書かれていなかったみたいだった。 「残した人自身の名が、消されてる」 慎が低く言う。 「誰かが記録を守ろうとして、最後に自分だけ抜かれたんだ」 海斗は納戸の棚を見渡した。失くしものを集めた箱も、整えられたままの封も、すべてが語っていた。町の中で消えたのは人だけじゃない。誰かの覚えていた時間そのものだった。 「慎さん」 「何だ」 「俺、たぶん今、わかった気がします」 「何をだ」 「失踪じゃなくて……最初から、町の記憶ごと隠されてたんだって」 慎は返事をしなかった。ただ、納戸の奥にある古びた事務机へ視線を向ける。その上に、埃をかぶった写真立てがひとつ置かれていた。海斗は改札鋏を握り直し、次に鳴る気配を待つ。
改札鋏に鳴る約束
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