エラベノベル堂

改札鋏に鳴る約束

全年齢

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7章 / 全10

特別運行の朝を迎える前、悠真はほとんど眠れなかった。原稿はまとまっている。展示の流れも決まった。それでも、胸の奥では別の声がまだざわついていた。やわらかく包んで伝えることは、都合の悪い部分から目をそらすことではないのか。佐和田の名を伏せることで、彼が本当に残したかった謝罪まで薄めてしまうのではないか。机の上の改札鋏は黙ったままだったが、その沈黙がかえって問いかけのようだった。 始発前、悠真はひとりで終点跡へ向かった。朝霧が低く流れ、草の先に露が光る。あの保管箱の前に立つと、改札鋏がようやく、かすかに鳴いた。ちきん。促されるように周囲を見渡し、物置の裏手の土を靴先で払うと、薄い板切れが顔を出した。拾い上げると、それは駅名標のさらに小さな欠片で、裏に鉛筆の跡が残っていた。判読しづらい文字を陽に透かして読む。そこには、返せなかったら、次に来る人に託す、とだけ書かれていた。 悠真はしばらくその場に立ち尽くした。誰に託すのかではない。次に来る人に、だった。名指しではなく、時間そのものに手渡された言葉。ならば自分が選ぼうとしている伝え方は、隠すためではなく、受け取るための形でいいのかもしれない。そう思えた瞬間、胸のつかえが少しだけほどけた。 資料館に戻ると、篠崎は展示ケースの前で最後の調整をしていた。澪は鈴の位置を直しながら、悠真の顔を見るなり、少し笑った。 決まった顔してる うん、と悠真は答えた。真実を切り分けるんじゃなくて、受け取れる温度にする。それでいく 篠崎は静かにうなずき、複製手紙の一部を伏せたまま、最後の一文だけを展示文に足した。町に残された声は、いま受け取る人を待っている。責任の所在を指す言葉より、その一行のほうがずっと強く見えた。 昼前、ホームには町の人も観光客も集まり、特別運行の札を付けたトロッコ列車が陽の下で鈍く光っていた。かつての駅を知る年配者、初めて乗る若い夫婦、夏休みの子どもたち。その顔ぶれを見たとき、悠真はようやく、この列車がただ景色を見せるためだけに走っているのではないと実感した。人と土地のあいだに置き去りになったものを、少しずつ運び直すためにあるのだと。 発車の笛が近づく。悠真は胸ポケットの改札鋏に触れた。ひやりとした金属は不思議なくらい穏やかで、もう何も探させようとしていないようだった。けれど、その静けさの底には、長い旅の終わりではなく、何かがようやく誰かの手に渡る直前の気配があった。悠真は一度深く息を吸い、乗り込み口へ向かった。今日、自分の声で町へ返すべきものが、はっきりと見えていた。

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