エラベノベル堂

改札鋏に鳴る約束

全年齢

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9章 / 全10

折り返し便が走り出すころには、朝の緊張は別の熱に変わっていた。展示を見た人々の声は小さいまま途切れず、資料館からホームへ、ホームから車内へ、古い記憶がゆっくりと運ばれていく。悠真は乗降口に立ちながら、行きの便とは違う顔つきの乗客たちを見ていた。誰も大声では語らない。けれど、黙って窓の外を眺めるその横顔に、確かにほどけはじめたものがあった。 車内アナウンスの後半で、悠真は原稿にはない一言を足した。 この路線に残されたものは、忘れられた品ではなく、次に受け取る人を待っていた思いだったのかもしれません。 言い終えた瞬間、胸ポケットの改札鋏が、かすかに鳴いた。ひときわ澄んで、短い音だった。悠真は思わず息を止める。役目を終えた静けさではなく、何かを見届けるような響きだった。 中ほどの席から、篠崎がそっと目配せを寄こした。その手には、さっき展示室で年配の女性から預かったという古い写真がある。褪せた集合写真の端、駅舎の前に立つ数人の中に、若い佐和田らしい男性がいた。だが悠真の視線を引いたのは、その隣だった。制帽をかぶった別の駅員が、胸元に見覚えのある銀色を差している。改札鋏とよく似た形。いや、それだけではない。写真の裏には鉛筆で一行、佐和田へ、預かる。戻れぬ時は次の者へ、とあった。 悠真は指先が熱くなるのを感じた。改札鋏は佐和田の持ち物ではなかったのだ。もっと前の、さらに別の誰かから託され、佐和田が預かり、そして戻れぬまま倉庫へ眠らせたものだった。失踪の謎を追っていたつもりが、町はずっと、一人の不在ではなく、何代にもわたる受け渡しの途中にいたのかもしれない。 列車が川沿いの見晴らしに差しかかる。陽を受けた水面がまぶしく揺れ、車内の誰かが小さく息をのんだ。その音に重なるように、改札鋏がもう一度だけ鳴る。今度は胸の内ではっきりわかるほど穏やかで、どこか遠くへ返事をするような音だった。 終点へ着くと、悠真はポケットから鋏を取り出した。手のひらの上の古びた金属は、いつもと変わらぬ重さのはずなのに、不思議なくらい軽く感じた。篠崎が隣で写真を見つめながら言う。 この町、受け取り損ねていたんじゃなくて、受け取り続けていたのかもしれませんね 澪が笑ってうなずく。 だから今まで残ってたんだよ。誰か一人のためじゃなくて、次の人のために その言葉を聞いたとたん、改札鋏は三度目の、最後の音を立てた。澄みきっていて、夏の空へ吸いこまれるような小さな響きだった。そして、それきり完全に静かになった。 悠真は終点跡の風の中で、ようやく理解した。自分が受け取ったのは失踪の真相そのものではない。町に残された声を、次へ渡す役目だったのだ。誰かを裁くためでなく、途切れかけたものをつなぐために。 ホームの向こうでは、次の便に乗る客がもう集まりはじめていた。子どもが鈴の複製を手に笑い、年配の夫婦が展示を見てから乗ろうかと話している。悠真は改札鋏を胸ポケットではなく、制服の内側の小さなケースへしまった。もう探しものの道具ではない。受け継いだ証のように、大切に持つべきものだった。 発車準備の声が上がる。悠真は一歩前へ出て、車掌として乗客へ案内の声を届けた。廃線跡をなぞる列車は、今日もゆっくり走り出す。その速度だからこそ拾える記憶があり、その揺れだからこそ届く言葉がある。見習いの札はもう外れていた。

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