エラベノベル堂

壁画ひび割れ予兆録

全年齢

小説ID: cmneptu6c000301nws90plb09

6章 / 全10

葵は追記の途切れた先を見つめたまま、しばらく動けなかった。石に刻まれた古い文字は、まだ指先に引っかかるほど生々しいのに、その周囲を走るひびの連なりだけが、別の意味を急いで伝えようとしている気がした。 「……違う」 理仁が小さく聞き返す。 「何が?」 葵はランタンを低く掲げ、回廊の床から壁へと続く割れ目を追った。ひびはただ壁面を這っているのではない。奥へ奥へと向かうほど、まるで一本の筋道のように整っている。 「この割れ方、上に向かって広がってない。逆だ」 「逆?」 「地上の発掘坑へ、誘導してるみたいに続いてる」 理仁の顔から血の気が引く。葵は震える息をのみ込み、壁に手を当てた。ひびの角度、間隔、途切れ方。昼間に見た予兆の形よりも、はるかに作為が濃い。偶然にしては整いすぎている。災害を知らせる傷ではなく、誰かが人を寄せるために置いた目印だ。 「自然の警告じゃない」 葵の声は、自分でも驚くほど乾いていた。 「誰かが……危険な場所へ人員を集めるために、見せかけてる」 「そんなこと、誰が」 問いは最後まで形にならなかった。真斗の冷たい声が脳裏をよぎる。成果、継続、保留。あの言葉の並びが、急に別の輪郭を持って迫ってくる。 葵は唇を噛み、追記の欠けた行をもう一度なぞった。 「わからない。でも、これを放っておいたらまずい」 理仁は短く息を吸い、すぐにうなずいた。 「戻ろう。地上に知らせないと」 「ええ。急いで」 葵はランタンを持ち替え、回廊の出口へ振り返った。深い闇の奥で、石がかすかに鳴った気がした。背筋に冷たいものが走る。けれど今は立ち止まっている場合じゃない。 彼女は足を速め、理仁と並んで狭い階段へ向かう。神殿の地下に隠された意図が、ひびの形を借りてようやく牙を見せた。葵は胸の奥で、まだ誰にも届いていない警告の続きを握りしめたまま、地上への道を駆け上がった。

6章 / 全10

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