砂の壁は、夕暮れより速く都市に影を落とした。空はまだ明るいのに、光だけが先に削られていく。燈子は屋上から降りると、北門へ向かう人の列の脇を走った。子どもを抱えた作業員、記録箱を胸に押さえる研究員、半信半疑のまま荷車を引く補助員たち。誰もが背後を振り返りたがっていたが、振り返るたび足は遅くなる。彼女は複写図を高く掲げ、杭に結ばれた布印を指し示した。壁画のひびと同じ角度で並べた印は、砂に薄れかけた道の上で奇妙に頼もしく見えた。 北門前では、ラシードが声を張り上げて人員を振り分けていた。ためらいを捨てた声はよく通ったが、その顔には自分自身への苦さが残っている。燈子は足を止めずに言った。 「西の外周路はまだ閉じたままですか」 「最後の班を待たせている」 「待たせないで。閉じるんじゃなく、流れを絞るんです」 彼は一瞬だけ目を見開き、すぐにうなずいた。守るために塞ぐのではない。逃がすために通す。その考えへ、ようやく全員の動きが追いつき始めていた。 神殿前に戻ると、アディールとミラが排水路の口に立っていた。濁った水が脈打つように走り、ときおり砂を巻き上げて消える。ミラが叫ぶ。 「北東へ向かう流れが強すぎる。途中で崩れたら人の列にぶつかる」 燈子は神殿の壁を見上げた。新しいひびはさらに伸び、星を抱いた人物の足元で二手に分かれている。避難路と排水路、そのどちらか一方ではない。二つをずらして動かせという印だった。彼女ははっとして回廊へ飛び込み、最深部の石盤へ駆けた。溝を走る水は、外周の一か所だけで渦を巻いている。そこは北門に近い支流の分岐だった。 石盤の縁に埋もれていた小さな石片を押すと、鈍い音とともに壁際の細い溝が開いた。水は新しい逃げ道を見つけ、渦を解いて北ではなく東へ回り始める。古代の仕組みは壊れていなかった。ただ、長い年月の砂に隠れていただけだ。 外へ戻ると、先頭の列はもう北東の岩棚へ達していた。砂嵐の先端が都市をかすめ、天幕がいくつも舞い上がる。だが人の流れは崩れない。排水路から逸れた濁流は空いた低地へ逃げ、南西の沈み込みも広がりを鈍らせていた。燈子は胸の奥で、ようやく石と人の時間が重なったのを感じた。 その横で、ラシードが静かに言った。 「君がいなければ、私はこの壁を発見としてしか見なかった」 燈子は砂に霞む神殿を振り返った。壁画は名声のために残されたのではない。明日を他人へ渡すために刻まれていたのだ。古代の無名の手が託したものを、今度は自分たちが誰のものにもせず運んでいく。その始まりが、崩れかけた都市のただ中で、確かに動き出していた。
壁画ひび割れ予兆録
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