朝の光は、神殿の石肌をまだ冷たく見せていた。葵は地上へ戻った足でそのまま資材置き場へ向かい、積み上げられた梱包箱の列を見て眉をひそめた。昨夜の警告が胸の奥で熱を持ったまま、空気の乾いた匂いに混じっている。 「これ……誰がまとめたの?」 隣に立つ理仁が、箱の側面に貼られた管理札を見下ろした。 「搬出予定の印がある。けど、数が多すぎるな」 葵は一つの箱を開け、詰められていた緩衝材の下から、封の甘い記録媒体を引き出した。砂を払う指先が、わずかに止まる。 「調査データの複製……」 「複製、か」 理仁の声が低くなる。紙の束ではない。持ち出しやすい形に整えられた記録が、いくつも重ねられていた。保存ではなく、外へ送るための準備だと、見た瞬間に分かる。 葵は箱の並びを追いながら、胸の奥が冷えていくのを感じた。壁画のひびも、地下回廊の追記も、全部が別々の線ではなかったのかもしれない。誰かが都市の情報そのものを切り分け、持ち去ろうとしている。 「真斗は知らないの?」 「知らない、はずがない」 理仁がそう言い切るより早く、砂利を踏む足音が近づいた。 「おや、もう見つけたのか」 振り向いた先にいたのは、真斗の側近だった。整いすぎた服装に、不釣り合いなほど軽い笑みを浮かべている。 葵は箱の蓋を閉じた。 「何を送る気ですか」 「送る、なんて上品な言い方をするんだな」 側近は肩をすくめた。 「都市の管理権は、近く国外企業へ渡る。発掘の成果も、運営も、最終的にはそちらの判断だ」 理仁が息をのんだ。 「そんな話、聞いてない」 「聞かされる側ではないからね」 側近は梱包箱を一つ叩き、口元だけで笑う。 「真斗さんは成果を守る。こちらは手続きを進める。それだけだ」 葵の喉がひりついた。成果のために掘り進めると言っていた真斗の言葉が、今になって別の意味を持ってしまう。 「最初から……売るつもりだったの?」 問いかけに、側近は否定しなかった。代わりに、箱の列の向こうへ視線を流す。 「裏切りだと思うなら、好きにすればいい。だが、現場はもう止まらない」 理仁が一歩前へ出る。 「これ、記録に残します」 「残せるならね」 その一言に、葵は反射的に資料を抱え直した。発掘隊の内部にいるのは、危険を見逃す誰かだけではない。都市そのものを手放す側が、すぐそこに立っている。 葵は理仁と目を合わせた。言葉にしなくても分かる。箱の中の複製は、ただの記録ではなく、裏切りの証拠だった。彼女は朝の光の中で、梱包箱の白い角を見つめたまま、次に何を守るべきかを静かに噛みしめていた。
壁画ひび割れ予兆録
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