北東の岩棚へ続く列は、砂の帳のなかで細い川のようにうねっていた。燈子は最後尾を振り返り、まだ宿舎側に残る人影を数えた。記録庫の搬出を諦めきれない者、負傷した同僚を支える者、何が起きているのか理解しきれず立ち尽くす者。砂嵐は空から来るというより、地面そのものが砕けて舞い上がっているようだった。頬に当たる粒は痛みを持ち、息を吸うたび喉の奥がざらつく。それでも道標の布印だけは、壁画のひびと同じ角度で、確かな方向を示し続けていた。 そのとき、神殿の下から鈍い響きが伝わった。都市全体の骨が一度きしんだような音だった。南西で起きていた沈み込みが、別の場所へ連なり始めたのだと燈子は悟る。ミラが駆け寄り、砂にかすれる声で叫んだ。 「北門脇の地面が割れてる。このままだと最後の列が分断される」 燈子は複写図を開き、砂を払って目を凝らした。星を抱いた人物の足元で分かれていた二本のひび。そのうち一本は避難路、もう一本は排水路だと思っていた。だが今、図の端に走るごく短い横線が目に留まる。閉ざす印ではなく、切り替える印。古代の仕組みは一度きりの誘導ではなく、異変の段階に応じて流れを渡し替えるものだった。 「列を岩棚へ上げきらないで、途中の採石溝へ折って。高所だけじゃなく、段になった場所へ分散させるの」 アディールがすぐ伝令を飛ばし、ラシードが北門側へ走る。迷いのない背中だった。燈子は神殿へ向かいかけ、足を止めた。もう石盤を動かす必要はない。必要なのは、人の流れを壁画の文法に合わせることだ。古代の装置は都市を救う機械ではなく、人が正しく選ぶための地図だったのだ。 彼女は管理棟の残っていた拡声器をつかみ、風に逆らって声を張った。荷を捨てて両手を空けること、北東へ急ぎすぎず段地に沿って散ること、低い場所には留まらないこと。単純な指示に変えた途端、群れの乱れがほどけていく。人は恐怖のなかでは大きな真実より、次の一歩を必要とする。 やがて北門脇の地面が裂け、砂と石が崩れ落ちた。しかし主な列はすでに採石溝へ折れ、裂け目を避けていた。さらに遅れて、神殿下から逃がされた濁流がその裂け目へ流れ込み、圧力をのみ込んでいく。都市の被害は避けられない。それでも、壊れる場所を選ばせることはできた。 夜半、嵐がようやく勢いを失うころ、岩棚と段地に集まった人々の点呼が始まった。重傷者は少なく、行方不明者も出ていないと聞いた瞬間、燈子は膝の力が抜けそうになった。下方では発掘都市の灯りがいくつか消え、いくつかはまだ砂の向こうで瞬いている。 ラシードは皆の前で、自らが警告の共有を遅らせていたこと、未公開区画の情報を抱え込んでいたことを認めた。弁解の余地はなかったが、その告白を受けてアディールが言った。これから必要なのは責任の押しつけではなく、記録の公開と保存の再設計だと。ミラも、壁画と測量記録を統合した新しい調査体制を提案した。 燈子は夜明け前の空を見上げた。砂の向こうで、星がひとつずつ戻ってくる。古代の壁画が守っていたのは石ではなく、人が知識を分け合う未来だったのかもしれない。彼女は複写図を抱き直す。失われかけた信頼もまた、修復できる。ひびを隠すのではなく、そこに刻まれた意味を読み継ぐことで。新しい朝が、砂に磨かれた都市の輪郭を静かに浮かび上がらせていた。
壁画ひび割れ予兆録
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