エラベノベル堂

水都脈動譜

全年齢

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3章 / 全10

昇降機塔の籠は、軋みをあげながら雲の底へ吸い込まれていった。中層区の湿った空気が離れるにつれ、金属の匂いよりも冷えた石の匂いが強くなる。上層区はいつ来ても静かだった。水の落ちる音さえ遠慮しているようで、磨かれた通路には、下で暮らす者の足音とは別の、ためらいのない靴音だけが響く。アサギは作業許可札を見える位置に下げ、点検技師の顔で貯水施設へ入った。顔で押し通れる場所ではないが、工具箱を持つ者は、それだけで半歩ぶん疑いを薄められる。 巨大貯水槽の並ぶ回廊で、彼はまず音を探した。夜ごと記録してきたうなりは、ここではもっと痩せた輪郭を持っていた。太い主管が壁の奥を走り、一定ごとに圧力計の針が細かく震える。その震えは無秩序ではない。低い波がひとつ来るたび、隣の補助管に短い返しが走る。長、短、短、長。北主管で拾った印と同じ並びだった。違うのは、ここではそれが命令のように聞こえることだった。 昼過ぎ、資材搬入口の陰でシオンと落ち合う。観測員の腕章を巻いた彼は、普段の軽さを消し、濡れた風見鶏のように周囲へ目を配っていた。 「今夜から気圧が一段落ちる。明日の夜半には外壁を叩き始めるはずだ」 「時間がないな」 アサギが言うと、シオンは小さく頷いた。 「上じゃ、嵐を言い訳にしやすい。誰も反対しづらいからな」 その言葉を胸に、アサギは施設の下層点検路へ回った。公開図面では行き止まりになっている区画だったが、壁面の継ぎ目に古い補修痕がある。工具を差し入れてこじると、薄い扉が内側へずれた。湿った暗がりの先に、使われなくなった監視室が残っていた。机は傾き、棚には紙束が塩を吹いていたが、中央の記録盤だけは妙に新しい布で覆われている。布を払うと、運転予定表が現れた。 第六貯水槽より予備放流。北系統圧保持。下層域外縁放水路、段階開放。 文字を追ったアサギの喉がひりつく。段階開放とあるが、横に記された流量は尋常ではない。下層域の古い放水路がすべて生きていたとしても、受けきれる量ではなかった。さらに端に細い字で、閾値超過時は中層北寄りの補助弁を切る、とある。自分が毎夜うなりを聞いていた主管だ。あの音は試験ではなく、経路の確認だったのだ。 夕方、ユナが保管庫から抜き出した複写紙を持って合流した。息を切らせた彼女は、監視室の灯りに青い顔を浮かべる。 「旧設計図と照らしたわ。外縁放水路の先、三本は埋め戻されてる。記録だけ残して閉鎖されたまま」 「つまり、流す先がない」 「ええ。あるように見せているだけ」 外で、遠く最初の雷が鳴った。塔の内壁がかすかに震え、その響きに重なるように、足元の管が低く唸る。長、短、短、長。続いて深い脈動が二度。もう迷う余地はなかった。実行は嵐の本番を待たない。圧力が閾値を越えた瞬間、自動でも手動でも水は落とされる。 アサギは予定表と複写紙を巻き、きつく握った。都市のうなりは、誰かが隠したい段取りを、金属の腹の中で何度も繰り返していたのだ。全容は見えた。次に必要なのは証拠を抱えて下へ戻り、信じない者にも信じさせるだけの道筋を示すことだった。回廊の窓に打ちつけた最初の雨粒が、まるで開始の合図みたいに鋭く鳴った。

3章 / 全10

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