アサギたちは手分けして走った。シオンは気象塔の連絡網を使い、嵐警報に紛れ込ませる形で下層外縁の見張り台へ異常水位の注意を流した。ユナは図書保管庫で眠っていた古い区画名の対照表を抱え、中層区の掲示係や鐘楼番に、現在の通称へ置き換えた避難先一覧を書かせる。アサギとハルは監督官室へ向かったが、扉の前でまず止められた。こんな夜に現場の技師が騒ぎ立てること自体、混乱の火種だとみなされたのだ。 だが、説明の途中で床下が大きく鳴った。器の底を爪で弾いたような乾いた震えに続き、窓硝子がかすかにびりつく。アサギは机の上に配管図を広げ、うなりの間隔を書きつけた手帳を開いた。 「次の三刻で北系統の圧が跳ねます。跳ねたあと、補助弁を切れば下へ落ちる。切らなくても、いまのまま詰まれば逆流する。どちらでも被るのは同じ区域です」 監督官は半信半疑の顔のまま、提出された予定表の印章を見つめていた。上層区管理局の正式印が押されている。信じたくないのは分かる。それでも紙は沈黙のまま重かった。やがて監督官は苦い息を吐き、伝令を呼んだ。 「北区の弁室に待機を増やせ。下層外縁には退避勧告。理由は問うな、急げ」 それでも都市全体を動かすには遅い。声は橋ごと、塔ごとに細く千切れ、雨と風にさらわれる。アサギは官の命令を待つ時間さえ惜しくなり、自分で北区の鐘楼へ駆けた。階段を上る途中、足元から這い上がる振動が一段深くなる。来る。そうわかった。 鐘楼では年老いた番人が、外の暗さに目を細めていた。アサギは手短に事情を告げ、通常の時報ではなく、火災時の連打と洪水時の長打を組み合わせて鳴らしてくれと頼む。番人は最初、そんな取り決めはないと言いかけたが、床板の震えを感じ取ると黙って綱を握った。次の瞬間、重い鐘が夜を裂いた。長く、短く、短く、また長く。偶然にも、それはアサギが書き留め続けてきたうなりの並びに似ていた。 音は橋を渡り、水路を越え、人の耳へ落ちていく。下層では戸を叩く音が連なり、荷を担いだ人影が高い通路へ向かいはじめた。中層北区では夜番の技師たちが、理由を完全には知らぬまま補助弁の前に集まる。ハルが先頭で怒鳴り、閉めるべき弁と開けておく逃がし口を指示した。 やがて、予測していた深い脈動が来た。ひとつ、ふたつ。直後、北主管が獣の喉のように唸り、壁の内側で巨大な水の塊が身をよじる。誰かが息を呑み、誰かが祈る。その刹那、アサギは確信した。もう計画の見直しを求める段階ではない。都市に残されたのは、ぶつかってくる水をどこまでいなせるか、その勝負だけだった。
水都脈動譜
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