エラベノベル堂

水都脈動譜

全年齢

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6章 / 全10

夜明け前の広場は、まだ人の声が少なく、石畳に残る湿り気だけが白く浮いていた。臨時の集会所を出たばかりの悠斗は、音符帳を胸に抱えたまま、中央の広い空間を見回す。千尋は木箱を二つ並べ、その上に簡易の板を立てていた。 「これで十分鳴るわ」 「十分って、何が」 「都市のうなりよ。聞こえる形にするの」 千尋はそう言って、細い管を板の裏へ回した。悠斗が昨夜までに書き写した旋律を、彼女は配管の残材と弦のような金属板に写し取っている。圧の揺れを拾えば、石の広場でも再現できるはずだった。 「本当に、みんなに伝わるかな」 「伝わるようにするの。難しい音を、難しいまま置かないで」 悠斗はうなずき、音符帳のページを開いた。放水塔の周期に重なった部分へ指を置くと、千尋が小さく笑う。 「そこ、少し強く押して。そう、今よ」 板の奥で、かすかな振動が返った。最初は風に似た頼りない震えだったのに、二度、三度と重なるうちに、広場の床がほのかに鳴りはじめる。 「……来た」 悠斗の声は低かった。耳を澄ませた住民が、点々と足を止める。誰かが首をかしげ、誰かが隣の者に目で問い返した。 「今の、管の音?」 「いや、でも変だぞ」 千尋はさらに板を押し、旋律の山を少しだけ持ち上げた。すると、悠斗の記録した脈動が、空気に薄い輪を描くように広がる。 「聞こえる……」 その一言が出た瞬間、広場のあちこちでざわめきが生まれた。悠斗は胸の奥が熱くなるのを感じる。これなら、異常はただの数字じゃない。誰の耳にも届く。 だが、次の瞬間だった。 「そこで何をしている」 硬い声が、広場の端から落ちてきた。悠斗が振り向くと、巡回中の監査官たちが石段の上に立っている。朝の薄明かりのせいか、その姿は余計に冷たく見えた。 「止めなさい。許可のない作業は認められない」 千尋が板を押す手を止める。悠斗は音符帳を握りしめた。 「これは測定じゃありません。都市の水音を、住民に聞いてもらってるだけです」 「同じだ。騒ぎを起こすな」 監査官の一人が、広場を見渡して眉をひそめた。そのとき、どこか遠くで甲高い警告音が鳴った。続いて、管の奥を走る圧が急に途切れ、広場の下からひどく不穏な低鳴りが這い上がってくる。 「え……?」 誰かが息をのむ。千尋の顔がさっと変わった。 「止められた。配水が落ちてる」 悠斗は広場の床に伝わる震えを感じた。さっきまで規則的だった都市のうなりが、切られた糸みたいに乱れている。住民たちの視線が一斉に集まり、ざわめきは恐れへ変わりかけていた。 監査官の巡回は、もう目の前まで来ている。悠斗は音符帳を閉じかけた指を止め、最後のページの余白に目を落とした。そこに、これまで気づかなかった細い線が、かすかな記号のように滲んでいる。 「千尋……これ」 彼女も気づき、息を詰めた。 「待って、まだ終わってない。ここに何かある」

6章 / 全10

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