診療所の白い灯りは、港の闇よりずっとまぶしかった。翔は入口近くで靴の泥を落としながら、集まった顔ぶれを見渡した。停電に備えるための確認だと聞いていたが、誰も声を張り上げない。話題は慎重に選ばれ、さっきまでの救難信号のことも、まるでガラス越しに触れるみたいに扱われていた。 「大ごとにすると、また落ち着かなくなるからね」 年配の女性が小さく笑い、隣の男が曖昧にうなずく。 「でも、備えは必要でしょ」 翔が言うと、空気がほんの少しだけ固まった。正しいことを言ったはずなのに、島ではそれがそのまま届かないことがある。蓮が横で、ふっと肩をすくめた。 「翔、ここはな。心配してるからこそ、平気なふりをする人が多い」 「平気なふり、ですか」 「そう。誰もが誰かを気にかけてる。けど、気にかけてる側ほど、先に弱音を吐きにくい」 翔は診療所の脇に置かれた患者搬送の記録箱を開いた。許可を得て目を通した紙の端に、見慣れた住所が並ぶ。港の向こう、発信源が揺れていたあの辺りだ。その中に、最近は通院を渋っていたという記録があった。何度も勧められているのに、まだ大丈夫だと断っていたらしい。 「……ここ」 翔が紙を指すと、蓮の表情がわずかに変わった。 「やっぱりか」 「最近、顔を出してないんですか」 「直接はな。けど、島は狭いだろ。行けば分かることもあるし、分かるからこそ行きにくいこともある」 「それで、助けを呼ばないまま……」 翔は途中で言葉を切った。断定するにはまだ早い。それでも、胸の奥で何かが繋がっていく感覚だけは消えない。 蓮は記録箱を閉じ、静かに言った。 「島の人間は、互いを見てる。見てるからこそ、余計な心配をかけたくないって思う。だが、それが行き過ぎると、本音ほど隠れる」 「じゃあ、あの信号は」 「誰か一人の弱さじゃない。弱さを言い出しにくい空気ごと、鳴ってたんだろう」 翔は診療所の蛍光灯を見上げた。白い光が、みんなの沈黙を薄く照らしている。救難信号の向こうにあったのは、ただ困っている人ではない。困っていると言えない島そのものだ。 「見過ごせないですね」 翔が言うと、蓮は今度ははっきりうなずいた。 「ああ。あれは、機械の声だけじゃない。島が飲み込んだ本音だ」 翔は記録の住所をもう一度見た。通院を渋っていた高齢者。互いを思いやるのに、誰も踏み込みきれない距離。その隙間に、あの切れた信号が落ちていたのかもしれない。 外から風が押し寄せ、診療所の窓がかすかに鳴った。誰かが 「そろそろ戻ろうか」 とつぶやく。その声に混じって、翔ははっきりと感じていた。これはもう、単なる誤信号じゃない。見えない孤立が、島の中で息を潜めている。
嵐夜を継ぐ無線士
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