エラベノベル堂

嵐夜を継ぐ無線士

全年齢

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7章 / 全10

「まだ、こんなに下まで……」 翔は懐中電灯の光を足元に落としながら、崖沿いの細い道を進んだ。風は容赦なく吹きつけ、さっき格納庫で受けた言葉の重みまで、胸の奥でまだ揺れている。整備不良と疑われたあの瞬間が、思い出すたびに悔しい。 「気にするな。今は足元だけ見ろ」 蓮の声が、闇の中で妙に落ち着いて聞こえた。受信機はもう役目を終えたように静かだが、蓮の目はそれでも前を向いている。 「でも、俺の確認が足りなかったみたいで」 「違う。嵐の中で、島のほうが壊れかけてるだけだ」 その言い方は乱暴なのに、妙に慰められた。翔は唇を噛み、黙ってうなずく。 避難路は、灯台の影に隠れるように折れ曲がっていた。石壁には苔が張りつき、手すりの代わりの古い鉄柵は、触れれば折れそうなくらい頼りない。なのに、そこだけが妙に人工的な直線を残している。 「これだ」 蓮がしゃがみ込み、懐中電灯を低く差し入れた。崩れかけた壁の隙間に、錆びた箱が半分埋まっている。 「中継箱か?」 「そうだ。昔の防災無線のだな」 翔は息をのんだ。箱の扉は歪み、留め具は潮に喰われている。外側だけではない。蓋の隙間からは、断続的に雨水が入り込んだ痕跡が見えた。 「こんな場所に、まだ残ってたんですか」 「残ってた、じゃない。誰にも忘れられてた、だ」 蓮の声が少しだけ低くなる。翔は慎重に扉へ手をかけた。軋む音がして、内部の配線が露わになる。色あせた被膜は裂け、端子の一部は白く腐食していた。 「ひどい……」 「海風にやられたんだ。長年、潮を浴び続ければこうなる」 翔はライトを近づけた。細い配線は、今にも千切れそうなほど脆い。それなのに、かすかに残る接続痕がある。誰かのいたずらなら、もっと派手で、もっと雑なはずだ。これは違う。壊れたまま、ずっと持ちこたえようとしていた形だ。 「つまり、あの信号は」 「いたずらじゃない」 蓮が即答した。 「誰かが面白半分で鳴らしたんじゃない。設備が限界だったんだ。送ろうとして、途中で途切れる。鳴るたびに、壊れたところが余計に露わになる」 翔は箱の縁に指を添えた。冷たく湿った金属が、島の時間の長さをそのまま残している気がした。 「これじゃ、声はまともに届かない」 「だから、あんな切れ方をした」 蓮はしばらく無言だった。風が崖を鳴らし、遠くの波音が一段深くなる。その横顔には、悔しさとも焦りともつかない影が落ちていた。 「俺は、あの断続を人の事情だと思い込んでた」 翔が言うと、蓮は小さく首を振った。 「思い込んだんじゃない。見えた範囲で、必死に繋いだだけだ」 「でも……」 「でも、次に繋ぐのは今だ」 蓮は中継箱の中をもう一度覗き込み、静かに息を吐く。 「島の古い設備は、もういくつも限界に来てる。助けを呼ぶ声が届かなかったのも、誰かの悪意じゃない。ここが、ずっと無理をしてた」 翔は頷いた。機械は正直だ。壊れる時は、黙って少しずつ崩れていく。その沈黙に気づけなかった自分が、悔しい。 だが同時に、分かったことがある。探していたのは遭難者の姿だけじゃなかった。島そのものが抱えていた古さと、そこに甘えてきた年月だ。 「蓮さん」 「なんだ」 「これ、もういたずらって言い切れませんね」 「言い切れないどころか、むしろ逆だ」 蓮は中継箱の扉をそっと戻した。閉じた金属の向こうで、雨粒が細かく叩く。 「誰かを疑うより先に、島の設備を疑うべきだった。いや、正確には、設備と孤立を一緒に見なきゃいけなかったんだ」 翔は懐中電灯を握り直し、暗い避難路の先を見た。まだ先がある。だが今夜の輪郭は、少しだけはっきりした。 古くなった中継箱が、嵐の中でかろうじてその姿を保っている。その壊れかけた沈黙こそが、救難信号の正体だった。

7章 / 全10

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