結人は翌朝、検査棟の端末室で更新履歴を紙に書き写していた。画面の上では消せる記録も、鉛筆の筆圧までは消せない。修正時刻が集中しているのは、夜勤と日勤の引き継ぎ前、港全体がいちばん慌ただしくなる短い谷間だった。そこに紛れれば、数字は波の下へ沈む。 港湾管理部の知り合いに頼み、保管ヤード周辺の清掃報告も取り寄せた。排水溝の詰まり、洗浄回数の増加、雑草処理の臨時依頼。どれも単独なら些細だが、問題の植物の搬入日と不気味なほど重なっていた。しかも処理後の写真には、薬剤散布の翌週にまた同じ場所から銀緑の芽が戻っている。 結人は試験場の篠崎を再訪した。篠崎は徹夜明けの顔で、新しい分析表を差し出した。 「根から出る成分の候補が絞れました。周囲の発芽を鈍らせるだけじゃありません。土の中の窒素の動きまで偏らせています。最初の一作は伸びる。でも次に植える作物が息切れする。畑の呼吸が浅くなるんです」 「それが実証農場だけの傾向で終わらなかったら」 「流通用に広がれば、被害の見え方はもっと遅れます。病気みたいに急に倒れない。じわじわ土台が崩れる種類です」 港へ戻る途中、結人は沿岸道路の脇で、見覚えのある色を見つけた。ガードレールの下、砕石の隙間に小さな銀緑が群れている。畑でも温室でもない、潮風と排気にさらされる場所で、苗は平然と葉を開いていた。彼はしゃがみ込み、指先で土を払った。根は浅いのに広い。薄い網のように地表を押さえ、他の草の芽だけが途切れている。 その夜、結人は倉庫担当の古賀から一本の電話を受けた。声がいつもより低い。 「おまえ、この件を追ってるだろ。今日、搬入業者が珍しく保管区画の指定に口を出してきた。監視カメラの死角に近い列だ。あとな、清掃員が回収したこぼれ種、いつもの廃棄箱じゃなく、別の容器に分けろって指示が来てる」 誰の指示かと問うと、古賀は少し黙った。 「書面は港の外郭団体名義だ。でも持ってきたのは天城の社員だった」 結人は受話器を置いたあともしばらく動けなかった。合法な書類の外側で、荷の通り道そのものが整えられている。見つかった異変を消すのではなく、最初から異変が記録になりにくい場所へ誘導しているのだ。 翌日、彼は保留中の案件一覧と修正履歴、現場写真、試験場の暫定結果を照合し、内部報告書の草案を作り始めた。だが提出先の欄で指が止まる。この港では、正式な報告は上へ行くほど角が削られる。丸くなった文章は、たいてい誰も傷つけない代わりに、何も止めない。 窓の向こうで、搬入ゲートが開いた。新しいコンテナ列の先頭には、あの企業のロゴがある。白地に青い穂の印。その清潔な印刷を見たとき、結人の中で疑いは確信に変わり始めていた。これは拙速な善意の暴走ではない。飢えを救う旗を掲げながら、土と流通の癖まで計算に入れた誰かがいる。港の目を曇らせている手は、思ったより近く、そして制度の内側にある。
検疫線上の飢作圧
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