報告書の草案は三度書き直しても、結人にはまだ薄く思えた。危険性は見えているのに、現行の様式に落とし込むと、たちまち仮説と所見の列に押し戻される。被害が進んでからなら強い言葉も使える。だが検疫官の仕事は、壊れた後ではなく、壊れる前に立ち止まることのはずだった。 昼休みを過ぎた頃、結人は搬入履歴の照合のため、港の外郭団体が使う別棟へ向かった。古い事務棟の廊下は妙に静かで、空調の風だけが書類棚の背表紙をかすかに鳴らしていた。受付で名乗ると、担当者は笑顔を崩さないまま、資料の閲覧には事前申請が要ると言った。昨日までは口頭で見せてもらえた帳票まで、急に鍵の向こうへ移されている。 引き下がるふりをして一階のロビーへ戻ると、結人は掲示板の配送予定表に目を留めた。問題の植物に関する搬出先が、実証農場だけでなく、食品加工会社の倉庫、自治体の備蓄用試験圃場、さらに学校給食向けの供給網に近い集荷所まで広がっている。試験導入の名目にしては、枝が伸びすぎていた。 その足で、結人は地元の集出荷場を回った。若い職員は最初こそ曖昧に答えていたが、倉庫の隅に積まれた空ケースを見た瞬間、観念したように言った。 「試作品扱いですよ。収穫物そのものじゃなくても、苗や加工前の原料をいったん混ぜて流れを作っておけば、本格導入の時に早いって。上はそう説明してました」 流れを作る。結人はその言葉が胸に残った。植物だけではない。物流も、予算も、需要も、先に水路を掘っておけば、あとから本流は自然にそこへ落ちる。 夕方、篠崎から届いた追加の連絡はさらに重かった。実証農場の土壌サンプルを分析した結果、銀緑の植物が抜かれた後も、根の周囲で増えた菌相の偏りが長く残るらしい。しかも近くで育てた在来の豆類には、目立った病斑も害虫痕もないのに、生育だけが鈍る。 「病名がつかない被害は、対策が遅れます」 電話越しの篠崎の声は乾いていた。 「誰もすぐには外来植物のせいだと結びつけない。肥料の配合か、天候か、栽培者の技量かって話になる」 結人は端末に保存していた修正履歴をもう一度開いた。削られていたのは、まさにそうした曖昧な前兆だった。排水口での再生確認。周辺草種の減少。土壌状態の違和感。ひとつでは事故にならない小さな声だけを、丁寧に黙らせている。 夜、検査棟の灯りが落ち始めた頃、真鍋が珍しく自分から声をかけてきた。 「上で妙な話が出てる。あの案件、来週から審査の優先枠に入るそうだ。食料対策の特例で、抜き取り率も下げる方向らしい」 「まだ実証段階のはずです」 「はずだよ。でも、もうそういう扱いじゃない」 真鍋は言いにくそうに視線をそらした。 「結人、おまえの報告、出す順番を考えろ。先に回る相手を間違えると、書いた瞬間に埋まる」 窓の外では、夜の岸壁を無音の台車が滑っていく。銀緑の苗を載せたケースが、整然と列をなし、白い照明の下でやけに清潔に見えた。結人はガラス越しにその列を見つめた。誰かは危険を隠しているだけではない。すでに次の段階へ進める準備を終え、制度のほうを植物に合わせて曲げ始めている。港で起きているのは、見落としではなかった。未来の畑の形を、静かに書き換えるための手際のよすぎる段取りだった。
検疫線上の飢作圧
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