結人は提出先を変えた。港の系統を上がれば、報告書は途中で薄められる。ならば、港の外から制度そのものを照らすしかない。彼は休憩室の隅で私用端末を開き、篠崎の解析結果、古賀の証言メモ、搬出先一覧、修正履歴の写しを時系列に並べ直した。点だったものが線になると、構図はあまりに鮮明だった。天城アグリフーズは食料危機対策として新設された代替作物支援枠を使い、本来なら数年単位の環境影響確認が要る植物を、短期収量の実績だけで流通へ滑り込ませている。しかも関連会社が自治体の実証事業を受託し、有識者の意見書には同じ文言が繰り返されていた。審査基準は変わっていないように見えて、運用だけが都合よく曲げられていた。 決定的だったのは、資材の取扱説明書だった。天城系列が販売する土壌改良材と専用肥料。その適合作物欄に、まだ本格承認前のはずの銀緑の植物のコードが先行して記されていた。被害が広がれば土が弱る。土が弱れば専用資材が売れる。在来作物の不調が増えれば、高価格帯の種苗へ切り替える農家も出る。結人は画面を見つめたまま、胃の奥が冷えるのを感じた。救済策の顔をした導入は、最初から依存を組み込んだ商売になっていた。 その夜、内部監査室へ面会を申し込んだ直後だった。検査棟を出たところで、見知らぬ男に呼び止められた。港湾管理の名札を下げていたが、靴だけが新品すぎた。 「榊原さん、最近いろいろ熱心ですね」 柔らかい口調だった。 「現場の不安は理解します。ただ、食料事情が逼迫している時期です。憶測で流れを止めれば、困る人が大勢出る」 結人が黙っていると、男は続けた。 「あなたの保留判断も、再検討の話が出ています。協調性に問題ありと見られれば、現場を外れることもある。せっかく真面目に積み上げた経歴でしょう」 脅しは露骨ではなかった。だからこそ、よく効く言い方だった。職を失えば、資料へのアクセスも絶たれる。ここで折れれば、港に残れる。だが残って何を見るのか。整えられた数字の川下で、畑が静かに痩せていくのを見送るだけだ。 男が去ったあと、結人の端末に真鍋から短い通知が入った。上がおまえのアカウント監査を始めた。必要なものは今のうちに退避しろ。 結人はすぐに資料を複製し、紙でも封筒に分けた。指先は震えていたが、頭は妙に澄んでいた。港の夜気は湿っているのに、胸の内側だけが乾いていく。明日の朝までに、自分は担当を外されるかもしれない。報告も握りつぶされるかもしれない。それでも、もう戻れなかった。 岸壁では、次の船の灯りがゆっくり近づいていた。白い船腹の向こうに、見えない種がいくつ積まれているのかは分からない。結人は封筒を抱え、監査室のある本庁舎へ向かった。波止場を渡る風の中で、検疫官として守ってきた境界が、ただの線ではなく、誰かが金で削ろうとしている堤に思えた。崩れる前に、名前を付けて示さなければならない。たとえ、その代償が自分の居場所でも。
検疫線上の飢作圧
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