エラベノベル堂

検疫線上の飢作圧

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6章 / 全10

本庁舎の監査室は、深夜に近い時間だというのに明かりが消えていなかった。結人は受付で身分証を示し、封筒を机に並べた。現場写真、修正履歴、搬出先一覧、資材の適合作物コード、研究機関の暫定解析。監査官の一人は無言で頁をめくり、もう一人は時刻の並びだけを執拗に追っていた。結人は説明しながら、ようやく自分がつかんだものの輪郭をはっきり口にできた気がした。天城アグリフーズは代替作物支援枠を利用し、長期検証を要する植物を、短期の収量実績と食料危機への焦りを盾に市場へ押し出した。しかも審査を厳しく見せる部分は残し、実際に危険を拾う現場の項目だけが削られている。制度は破られていない。だが、都合よく折り曲げられていた。 監査官は表情を変えなかったが、資材説明書の写しを見たときだけ視線が止まった。承認前の植物コードが、専用肥料と改良材の販路資料にすでに組み込まれている。それは導入後の混乱まで、販売計画の内側に置かれていた証拠だった。 だが聴取は途中で中断された。上層部から連絡が入ったのだろう、監査室の空気が急に冷えた。結人は別室に通され、端末と入館証の一時返納を求められた。調査対象との接触を避けるための措置、という名目だった。遠回しな停職に近い。廊下の窓に映った自分の顔は、驚くほど疲れていた。 外へ出ると、真鍋が自販機の影で待っていた。 「やっぱり動いたか」 「監査は受け取った。でも、俺も資料も切り離される」 真鍋は短く息を吐き、紙片を差し出した。内部の会議予定と出席者名簿だった。そこには天城の関連財団から助成を受ける有識者の名が並び、審査基準の運用見直し案が議題に入っている。 「さっき印刷した。これで終わりじゃない」 結人は紙片を握りしめた。圧力は予想していた。だが、制度を動かす会議そのものが、既に同じ網の上に載っているとは思っていなかった。港の数字を整えた手は、港の外まで伸びている。 夜明け前、篠崎からも連絡が入った。実証農場だけでなく、港近くの空き地から採取した銀緑の芽も、同じ菌相の偏りを伴っていたという。つまり、被害は試験区の中で閉じていない。結人は人気のない歩道で立ち止まり、海から吹く冷たい風を受けた。もう発表の直前ではない。危険は、発表を待たずに広がっていたのだ。 その瞬間、彼はようやく覚悟を固めた。職務を外されても、公式の線が塞がれても、現場の記録と研究者の解析と農家の証言を別々に死なせてはいけない。この件は、ひとつの報告書として握られれば消える。だが、それぞれが別の場所から同じ形を指せば、沈めきれない。 東の空がわずかに白み、港のクレーンが再び動き始める。結人は返納を求められた入館証のない胸元を見下ろし、それでも足を止めなかった。居場所を削られたのではなく、境界の本当の位置を知らされたのだと思った。守るべき線は庁舎の中だけにはない。次は、公の場でこの連鎖に名前を与える番だった。

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