相談室を出た朝陽は、そのまま書店の外へ向かった。駅へ続く大通りを少し外れるだけで、夜の匂いはがらりと変わる。再開発で整えられた歩道の端に、古い区画の名残みたいな空き地がぽつんと残っていた。 そこが、メモに書かれていた地名だった。 「……ここか」 朝陽は立ち止まり、周囲を見回した。屋台も、看板も、今はもうない。あるのは仮囲いと、風に鳴る注意書きだけだ。だが、近くの喫茶店の軒先には、古い街区を知るような年配の店主が椅子を出していた。 「あの、すみません」 朝陽が声をかけると、店主は新聞から顔を上げた。 「旧書店街のことを聞きたくて来たんです。昔、この辺にあったって」 「本屋が並んでた頃かい」 店主は懐かしむように目を細めた。 「あの火事の前は、そりゃにぎやかだったよ。夜まで灯りが消えなくてな」 朝陽は、胸の奥がわずかに熱くなるのを感じた。 「火事のあと、どうなったんですか」 「店は焼けたり閉めたり。人も散った。けど、一人だけ行方が分からなくなった子がいてね」 「子、ですか」 「若い従業員だった。尾形……いや、名字はうろ覚えだな。みんな、あいつは戻ると思ってた。でも、結局どこにもいなかった」 朝陽は息を止めた。尾形という名前が、紙片の向こうから急に輪郭を持って浮かび上がる。 「その人、火事のときに」 「さあね。見た者はいない。けど、あの夜からずっと、誰かが記録を探してるって噂はあったよ。本の奥に隠したものを、まだ誰かが欲しがってるって」 朝陽はゆっくりと視線を落とした。相談室の棚、抜き取られやすい本の並び、同じ折り方のメモ。ばらばらに見えたものが、一本の細い糸でつながっていく。 「最近の放火も……」 「昔の火事を知らない人間のやることじゃない、って言うやつもいたな。だが、昔のことを知ってるからこそ、焼け跡の意味を追うんだろうよ」 朝陽は思わずメモの折り目を指先でなぞった。脅しではない。見つけてほしいという、ねじれた合図。何年も前に失われた何かが、まだ終わっていない。 「……助けを求めてるのかもしれない」 小さく漏れた声に、店主は何も言わなかった。ただ、風に揺れる仮囲いの向こうを見た。 朝陽は空き地の端に立ち尽くしたまま、薄く冷えた夜気を吸い込む。事件は、最近始まったものじゃない。ずっと前に置き去りにされたまま、別の形で続いていた。そう気づいた瞬間、返本の相談室に戻れば、あの紙の意味がもっとはっきり見える気がした。 だが今はまだ、問いだけが残る。メモの送り主は、本を使って、誰に、何を伝えようとしているのか。
深夜書店 返品本相談室
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