エラベノベル堂

深夜書店 返品本相談室

全年齢

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6章 / 全10

真白は事務所の電話を前にして、受話器を取る手を一度止めた。警備会社、消防、区の防災窓口。どこへ先に伝えても、根拠を求められるのはわかっていた。机の上には、店長が開いてくれた古い受付ノート、配送員の拾った文庫本、相談室に積もった匿名の声が並んでいる。どれも証拠としては弱い。けれど、ばらばらに見えた言葉を順に置くと、見えてくる形があった。真白はまず消防へ連絡し、旧用水路の上で異臭と漏水が続いていること、再開発区域の仮囲い裏と川沿いの曲がり角に記録が集中していることを、できる限り落ち着いて伝えた。 相手の反応は慎重だった。匿名の書き込みだけでは動きにくい、と遠回しに言われる。真白は食い下がる代わりに、前任者のノートにあった日付と相談内容を読み上げた。十年前の湿気、三年前の沈み込み、半年前から増えた焦げた匂い。さらに今月のぼやの地点が、埋められた水路と古い配管の曲線に沿っていることも告げる。電話の向こうで紙をめくる音がして、ようやく現地確認の手配をしますという返事が落ちてきた。 同時に、店長は区役所の再開発担当へ連絡した。野上は搬入口の監視カメラから、文庫本が拾われた時間帯の映像を探した。映っていたのは、顔のはっきりしない数人の影だった。住民らしい年配者、ヘルメット姿の作業員、制服のまま通り過ぎる清掃員。ひとりではないという仮説だけが、かえって確かになっていく。 夜が明けきる前、消防と警備会社の人間が現地に入ったという連絡が入った。仮囲い裏の地面の一部が不自然にぬかるみ、古い管の継ぎ目付近で可燃性の高い気体が溜まりやすい状態になっていたらしい。大きな火に至る前の、ごく小さな発火の痕も見つかった。真白は受話器を置いたまま、しばらく動けなかった。誰かが危険を知らせようとしていたことも、その方法があまりに危うかったことも、どちらも否定できなくなった。 その日の夕方、相談室の机に新しい紙片が一枚だけ置かれていた。いつ入ったのか誰も見ていない。字はこれまでより穏やかで、短かった。 やっとつながった。 真白は紙片を指でなぞり、深く息を吐いた。火をつけたいんじゃない。消える前に見てほしいだけ。あの震える文字の意味が、今はよくわかる。悪意だけなら、こんなに回りくどく本へ託したりしない。けれど善意だけでも、火は許されない。だからこそ、自分がやるべきことは、誰かを暴くことではなく、散らばった声を誤解なく渡すことなのだと思った。 店長は相談室の扉に、仮の札を掛けた。返品本相談受付。小さな文字で、話だけでも承ります、と続ける。正式な制度ではないまま、それでも消さないための札だった。真白は机を拭き、ノートを新しく開く。前任者が残した仕組みは、秘密ではなく、ようやく役目になる。 夜二時、自動ドアが静かに開き、次の客が通路を曲がってくる。真白は相談室の灯りを見上げた。白い蛍光灯の下で、本のページはまだ、言葉にならない声を抱えている。今度は拾える。そう思いながら、真白は椅子をひとつ前へ引いた。

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