エラベノベル堂

深夜書店 返品本相談室

全年齢

小説ID: cmnepuper000f01nwv9opbg39

8章 / 全10

点検の日程が決まった夜、店の空気はいつもと同じはずなのに、真白には棚の隙間まで少し張って見えた。相談室の机には、時系列に並べ直したメモの写しと、古い受付ノートの要点をまとめた紙が置かれている。今夜はもう、ただ預かるだけでは終わらない。ばらばらの声を、誤解の余地が少ない形に整えて渡さなくてはならなかった。 店長は閉店のない売場を見回ってから、相談室の前で足を止めた。再開発の担当者と消防、それに町内会側の人も来るそうだ、と小声で告げる。店の外で話せば角が立つ相手同士でも、書店の机を挟むと少しだけ声がやわらぐ。前任者は、そのことを知っていたのかもしれないと真白は思った。 最初に現れたのは、年配の男性だった。続いて配送業者、清掃員の女性、そして川沿いの喫茶店を閉めた店主だという女性が来た。さらに遅れて、再開発会社の若い担当者と、区の防災課の職員が姿を見せる。互いに気まずそうな沈黙が落ちたが、真白はメモを一枚ずつ机に置いた。 火は窓から見ている。急がせるからだめになる。内側は見えない。火を見れば人は来る。でも水は誰も見ない。 読み上げるたび、誰かの表情がわずかに動いた。真白は続けて、旧用水路の線、漏水の報告、異臭の記録、ぼやの位置を書き込んだ地図を広げる。誰かが悪意だけで火を広げたのではなく、危険を知らせたい者、脅されていると思った者、面倒を避けようとした者が、互いの事情を知らないまま同じ場所を見失っていたのだと説明した。 若い担当者は最初、硬い顔のまま資料を見ていた。だが喫茶店の女性が、床下の湿気で冷蔵庫が何度も止まったこと、言っても老朽化の一言で片づけられたことを話すと、目を伏せた。配送業者も、搬入口のぬかるみを報告しても工事の範囲外だと言われたと打ち明ける。年配の男性は、皿の上で紙を焦がした夜のことを認め、あれで誰かを黙らせるつもりはなかった、と掠れた声で言った。 防災課の職員は長く黙ったあと、誤解を重ねたまま危険な合図に頼らせてしまったのはこちらも同じです、と頭を下げた。再開発会社の担当者も、立ち退き交渉と安全確認を一緒に扱ったのが間違いだったと認める。相談室の蛍光灯の下で、誰かが誰かを打ち負かすためではない言葉が、ようやく同じ方向を向き始めた。 そのとき、清掃員の女性が机の端に置かれた古いノートを見つめ、懐かしそうに笑った。前の担当さん、言ってたよ。売れない本も、返される本も、最後は誰かの手に触れてるって。だから話は捨てる前に一晩置くんだって。 真白はその言葉を胸の奥で受け止めた。相談室は秘密の抜け道ではない。本を理由にしなければ声を出せない人のための、遅すぎる返却口だったのだ。店長は机の脇に新しい札を置く。返品本相談室。試験運用中ではなく、正式受付予定と印字されていた。 夜が少し明けるころ、関係者たちは次の説明会の日取りを決めて帰っていった。火は止まり、点検は続き、言い逃したことは今後ここで預かることになった。ひとりになった相談室で、真白は最後のメモをノートに貼る。やっとつながった。その短い一文の下に、初めて自分の字で書き添えた。 受け取りました。 扉の外では、新しい客が売場をゆっくり歩いている。真白は湯気の立つ紙コップを机の端へ寄せ、次の椅子を静かに引いた。

8章 / 全10

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