エラベノベル堂

雪圧ダム 潜歴調査

全年齢

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3章 / 全10

それから澪は、表向きは指示どおり巡回と通常監視をこなしながら、空いた時間を切り刻むようにして材料を集めた。正面から記録庫に入れないなら、周辺から埋めるしかない。旧管理道の除雪予定、工事業者の出入り記録、地元新聞の縮刷版、気象台の観測年報。ひとつひとつは乾いた数字や短い記事にすぎないのに、並べると奇妙な影が浮いた。四十九年前の一月、その一帯だけ降雪量は平年並みで、雪崩注意報も出ていない。なのに新聞には、道路閉鎖と一時避難の記事が小さく載っていた。原因は悪天候。曖昧すぎる言葉だった。  夜、寮の机で資料を見返していた澪は、点検台帳の片隅に押された判の違いに気づいた。通常の検印に混じって、旧設備のページにだけ、かすれた丸印がある。現在の所属コードには存在しない番号だった。翌日、古参の事務員にそれとなく尋ねると、相手は書類を受け取る手を止め、少しだけ眉をひそめた。  それ、昔の特別対策班の印じゃないかしら。  何の対策班ですか。  さあね。私が入る前の話よ  そこで会話は切られたが、その名称だけで十分だった。通常運用の外側に、何かを処理するための班があった。しかも正式な事故報告も残さずに。  澪はさらに麓の寺にある過去帳まで当たった。冬のあの時期、集落の男性二名の俗名の横に、死亡地未詳とだけ墨書きされている。役場の住民記録では転出扱いになっていた名前だった。胸の内で、ばらばらだった欠片が冷たい音を立てて寄り始める。事故はあった。しかも、死者までいた可能性が高い。  その確信を持って三度目の閲覧申請を出した翌日、澪は本庁から来た監査担当に呼び止められた。会議室で差し出されたのは、注意文書だった。許可のない資料探索、外部への聞き取り、業務専念義務への抵触。文面は整っていたが、要するにやめろということだ。  あなたは現場職員です。歴史研究者ではない。  監査担当は感情のない声で言った。  現場職員だから知る必要があるんです。毎年同じ日に異常が起きています。  異常ではなく誤差です。  そう言い切る根拠を見せてください。  相手は答えず、書類を封筒に戻した。その沈黙が、何より雄弁だった。  管理所に戻ると、私物ロッカーに入れていた複写メモの一部がなくなっていた。鍵は壊されていない。誰かが正規の手順で開けたのだ。澪は怒りより先に、底の見えない疲労を覚えた。自分だけが騒いでいるのではない。向こうもまた、彼女の動きを見ている。  夕方、外気温はさらに下がり、ダム湖の表面は鈍い鋼の色に沈んでいた。巡回路の端に立つと、雪の下の山全体が、息を潜めて耳を澄ませているように感じられる。背後から近づいた沼田が、珍しく真顔で言った。  ここまで来たなら、中途半端にやめるな。ただし、次のあの日までだ。  あの日。  例の水位変動が起きる日だよ。昔の連中は、その日だけ旧観測井の数字を別紙で回したらしい  どうしてそれを。  倉庫の古い机の裏に紙が挟まってた。誰かが捨てきれなかったんだろう  受け取った紙片には、現在の監視系統にはない観測点の番号が走り書きされていた。旧放流設備の近傍を示す位置だった。  澪は白い息を吐き、凍てつく湖面を見つめた。半世紀前に伏せられた事故、消された死者、閉ざされた設備、そして今も続く水位のわずかな沈み。真実はまだ手の届かない場所にある。それでも、見えない扉の輪郭だけは、前よりはっきりしていた。次の冬の日、それはきっともう一度開く。今度は見過ごさない。そう心の内で言い切った瞬間、山の奥から低く響くような音がして、澪は顔を上げた。風ではない。雪の下で、何かがまだ終わっていない気配だった。

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