エラベノベル堂

雪圧ダム 潜歴調査

全年齢

小説ID: cmnepuw9l000i01nwgtbk2q12

4章 / 全10

「面倒でも、行ってみる価値はあります」 大輔のその一言が、倉庫の静けさに小さく落ちた。美緒は図面をたたみ、視線だけで頷く。 「立入禁止の外側なら、触れないとは言えないものね」 「外から見える範囲だけですよ。もし誰かに見つかったら、僕は知らないです」 「いいわ。知らない顔は得意でしょ」 からかうと、大輔は困ったように笑った。けれどその笑いも、すぐに引き締まる。二人は倉庫を抜け、管理所の外へ出た。夕方の空気は刺すように冷たく、雪の表面は薄い橙色に染まっている。風は弱いのに、足元の雪だけが妙にざらついていた。 上流へ続く雪道を進むにつれ、管理所の気配は背後へ遠のいた。柵の向こうは立入禁止区域だ。張り紙は雪をかぶり、文字の端が滲んでいる。 「ここです」 大輔がしゃがみ込み、半ば埋もれた地面を指した。斜面の根元に、古いコンクリートの輪郭がわずかに覗いている。雪を払うと、穴の縁らしき石組みが現れた。 「これ……旧排水トンネルの痕跡?」 「たぶん。図面の改修痕と、つながってます」 美緒は屈み、指先で雪を払う。硬い壁の感触は、今の設備よりずっと古い。埋め戻されたはずの口が、雪の下でまだ息をしているみたいだった。 そのときだった。 「……聞こえる?」 「何がですか」 美緒は息を止めた。耳を澄ますと、氷の下から、ごくかすかな音がした。水が流れる音とも違う、けれど途切れずに脈打つ、低い振動。 どくん、と。 もう一度。 どくん、と。 「……脈みたい」 大輔が顔を上げる。 「トンネルの奥で、水が動いてるんでしょうか」 「いいえ」 美緒は雪面に手を置いたまま、確かめるように呟いた。 「これは、施設の中の構造が生きてる音だわ。外の川じゃない。あの記録の揺れは、ここで起きてる」 氷の下の鼓動は、弱いのにしぶとく続いていた。まるで隠し切れない秘密が、冷え切った地面の奥でまだ息をしているかのように。 美緒は立ち上がり、埋もれた入口を見下ろした。 「やっぱり、自然現象じゃない」 その言葉に、大輔は黙って頷いた。二人の吐く白い息が、夕暮れの中で重なって、すぐに消える。けれど雪の下の鼓動だけは、消えなかった。

4章 / 全10

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