送信完了の表示が灯った瞬間、澪は肩から余計な力が抜けていくのを感じた。だが安堵は長く続かなかった。返信は予想以上に早く返ってきた。本庁技術本部、県防災課、そして保存資料管理室から、資料受領と現地確認要請。半世紀のあいだ凍りついていたものが、一斉に音を立てて動き始めたのだ。 夜明けを迎えた管理所には、ふだんの冬朝にはない緊張が満ちていた。所長は各所への連絡に追われ、沼田は点検班の再編成を進める。顧問の男は窓辺に立ったまま、白い湖面を見つめていた。澪は提出資料の追補として、旧導水路と現行観測系統の接続可能性をまとめた図を作り、事故当日の手書き記録と照合していく。すると、もうひとつの不自然さが浮かび上がった。 事故直後に差し替えられた日誌の要約には、封止工事完了の時刻が記されている。だがその時刻より後に、旧観測井の数値が記録されていた。閉じたはずの設備を、誰かが閉じたあとも監視していたことになる。つまり現場は、封止が不完全だと知っていた。 澪はその一文を所長に示した。所長はしばらく黙り込み、やがて低く言った。 上だけじゃない。ここでも知っていて、引き継いでこなかった者がいた 責任の輪郭はさらに広がった。自然災害に判断ミスが重なり、その後に隠蔽が施された。それだけではない。不完全な設備を知りながら、毎年の異常を誤差としてやり過ごし、次の担当へ曖昧な沈黙ごと引き渡してきたのだ。事故は過去に終わっていなかった。組織の中で、形を変えて続いていた。 正午前、現地確認に入った点検班から報告が届く。旧放流設備へ通じる閉鎖区画の壁面に、凍結と融解を繰り返した痕があり、ごく微量ながら今も水が染みているという。写真に写るコンクリートの筋は、古い傷が長い年月をかけてにじみ出た涙の跡のようだった。 監視室の誰もが、その写真から目を離せなかった。顧問は椅子に腰を下ろし、額を押さえたまま言った。 あの日、完全に止めたことにした。止まっていないと、皆わかっていたのに その告白は、記録以上に重く澪の胸へ落ちた。真実はひとつの悪意だけでできていたのではない。責任を恐れる人間の小さな判断が折り重なり、雪のように積もって景色を覆っていたのだ。 午後、管理所に対策本部設置の連絡が入り、外部調査班の到着時刻も決まった。所長は記者対応の準備に入ると告げ、澪に資料整理の継続を頼んだ。澪はうなずき、窓の外を見る。湖面は朝よりもわずかに明るく、しかし底知れぬ静けさをたたえていた。 毎年同じ日に沈んでいた数センチの揺れは、ただの異常値ではなかった。半世紀前に置き去りにされた声が、水の形で届いていたのだ。澪はその事実を胸の奥で確かめながら、次に開くべきファイルへ手を伸ばした。真実はようやく姿を見せたが、それはまだ扉のこちら側に立っただけだった。
雪圧ダム 潜歴調査
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