夜の校舎は、昼間よりも音が遠く感じた。職員室の前まで来た白嶺吹奏楽部の面々は、廊下の明かりに照らされた掲示板を囲み、貼り出された対戦表に一斉に目を走らせる。そこで、誰かが低く息を呑んだ。 「……星陵学院」 未來の声が、いつもより硬い。視線の先には、地区予選の組み合わせの中でひときわ重たく見える名前があった。途端に、周囲の空気がざわつく。強豪だ、と誰かが言う。いや、強豪どころじゃない、と別の誰かが押し殺した声で返す。白嶺にとって、その名は音楽の実力以上の意味を持っていた。やたらと勝ち上がる、妙に手堅い、そして不自然なくらい審査に強い。そんな噂が、断片のまま部員たちの間を転がり始める。 「ねえ、それ、本当なの」 「わからない。でも、去年も一昨年も、あそこだけ評価が高すぎたって」 「審査員に顔が利くって話もある」 言葉が増えるほど、音は濁っていく。未來は掲示板から目を離さないまま、唇を噛んだ。 「うちが当たるの、最悪じゃない?」 その一言で、何人かが同意しかける。けれど、悠はすぐには乗らなかった。掲示表を見上げたまま、淡々とした声を落とす。 「噂だけで判断しないでください」 ざわめきが、少しだけ止まる。 「証拠のない話は、今の僕らには武器にも盾にもならない。相手が何をしていようと、まずこちらがやるべきことは変わりません」 未來が振り向く。 「変わらないって、そんなの平気でいられるわけないでしょ」 「平気でいろとは言っていません」 悠は静かに首を横に振った。 「不安になるのは当然です。でも、不安のまま音を濁したら、向こうの思うつぼになる。僕らが今やるべきなのは、疑いを増やすことじゃない。演奏の説得力を上げることです」 「説得力……」 「そうです。客席のどこで聴かれても、白嶺の音だと伝わるように。疑問を抱かせるほどの音にする。相手の噂に振り回されるんじゃなく、こっちの音で空気を変える」 誰かがごくりと喉を鳴らした。掲示板の紙が、廊下の風にわずかに揺れる。その小さな音さえ、今はやけに耳につく。 未來はしばらく黙っていたが、やがて腕を下ろした。 「……わかった。今は、音で返す」 「ええ」 悠は短く答え、対戦表から視線を外した。 「だから今日は、余計なことを考えずに帰って休んでください。明日からの一音で、全部ひっくり返しましょう」 ざわつきはまだ完全には消えていない。それでも、部員たちの顔つきは先ほどより少しだけ締まっていた。星陵学院の名前は重い。だが、その重さに飲まれるかどうかは、まだ決まっていない。 悠の言葉のあと、掲示板の前にはしばらく、夜の静けさだけが残っていた。
客席ごとの祝祭曲
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