エラベノベル堂

客席ごとの祝祭曲

全年齢

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5章 / 全10

地区大会を抜け、県大会でも青葉は代表の一校に残った。結果だけを見れば順調だったが、部の空気は晴れ切らなかった。演奏後のロビーでは観客や他校の生徒から自由曲を褒める声がいくつも届いたのに、講評用紙には 「意図は理解するが、音響の均質性に課題」 といった文言が並んでいたからだ。澪はその一行を何度も読み返し、紙の白さだけがやけに冷たく見えた。均質でないことは、最初から承知のうえで選んだ道だった。それでも、言葉にされると胸の奥に細い刃が入る。 追い打ちをかけるように、次の大会を前に不穏な話が持ち上がった。審査員席の配置が例年と違い、中央寄りに偏るらしいというのだ。さらに自由曲の評価項目について、事前に各校へ説明された内容と、当日の進行資料にある表現が微妙に食い違っていると、連盟に詳しい保護者が教えてくれた。どちらも決定的な証拠ではない。けれど曖昧だからこそ、部員たちの不安は静かに膨らんだ。 「結局、正面にきれいに飛ぶ音のほうが有利ってことじゃないの」 小野寺の声は責めるというより、疲れていた。誰かが反論しかけ、でも言葉は続かなかった。真壁は楽器ケースに肘をついたまま黙り込み、杉本はスティックを握った手を離さない。澪もまた、自分の中に同じ疑いがあることを否定できなかった。会場全体へ届く音楽。その理想が、狭い採点の前ではただの遠回りに見える瞬間がある。 その日の夜、篠崎は合奏をやめた。部員を舞台に上げず、客席に散らして座らせる。前列、中央、最後列、左右の端。澪は二階席の通路側に座り、暗い舞台を見下ろした。やがて篠崎が一人で現れ、指揮台にも上がらず、何も持たないまま口を開いた。 「いま、みんなは審査員の位置ばかり気にしている」 その言い方は穏やかで、だからこそ胸に刺さった。 「気にするな、とは言わない。僕も気になる。でもね、音楽は最初から、数人の机の上だけに置くものじゃない」 篠崎は空の客席を見回した。 「ここに人が入れば、前で受け取る人もいれば、後ろで包まれる人もいる。右側で輪郭をつかむ人も、左側で余韻を持ち帰る人もいる。評価はその一部を切り取るだけだ。だから僕たちは、その一部に合わせて全部を痩せさせちゃいけない」 静まり返ったホールで、その声だけがまっすぐ届いた。 「不透明なことがあるなら、なおさらです。狭い基準に自分から収まったら、そこで終わる。みんなの演奏の意味は、点数の外側まで届いたときに初めて完成する」 澪は息を吸い、客席の闇の深さを見つめた。勝つために吹くのではない、とはもう言えない。全国を目指してきた重みは本物だ。けれど、勝つことだけに音を削れば、ここまで積み上げてきたものの芯が折れる。そのことも、いまははっきりわかった。 翌日の合奏で、青葉の音は少し変わった。鋭さはそのままに、どこか腹をくくった響きになった。正面へ飛ばす音も、端へにじむ和声も、どちらかを犠牲にしないまま一つの流れに束ねていく。澪は旋律の入りで、客席の誰にも同じ景色を押しつけないことを意識した。それでも、どの席にも何かは残るように。 曲が終わると、篠崎は短く言った。 「ようやく、自分たちの意味で鳴ったね」 その瞬間、澪は初めて思った。次の本番で何を判定されるとしても、自分たちはもう、判定だけのための演奏には戻れないのだと。

5章 / 全10

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